南京博物館収蔵の不老不死の薬とは?

japanese.china.org.cn  |  2009-09-07

南京博物館収蔵の不老不死の薬とは?。不老不死の薬のために徐福を東海に遣わせた秦の始皇帝を始め、古代には多くの人が不老不死の薬を求めた。南京博物館には、1600年前の東晋時代に作られた「不老不死の薬」が収蔵されている。1965年に象山にある東晋時代の有名な書家・王羲之一族の陵墓が発掘された時、200個の全体が真っ赤で米粒ほどの大きさの粒が入った箱が発見された…

タグ:不老不死の薬

発信時間:2009-09-07 16:28:18 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

貴族たちを夢中にさせた理由

 

高崧一族の陵墓から出土した薬が入った容器

 

魯迅の「魏晋風格及び文章、薬と酒の関係」という文章の中では、薬を飲んだ名士たちの顔は真っ赤になり、内臓が燃えているかのように感じるため、これをおさえるために大量のお酒を飲まなければならなかったと記されている。また全身にできものができるため、幅広の衣装でなければ衣装に擦れ、まるで刀で切りつけるようだったという。そのため当時の貴族たちはみんな幅広の衣装を着ていた。

また薬と酒のせいで貴族たちは傲慢で怒りやすく、剣でハエを追う名士もおり、また感情を抑えきれず、おかしな発言をする人もいたという。

実際こうした「不老不死の薬」は、人の命にかかわる毒薬だった。しかしそれにもかかわらず、なぜ貴族たちはそんなに「不老不死の薬」に夢中になったのか。

晋代とその前の魏代の200年間は、政権の更迭が頻繁に行われ、戦争が絶えず繰り返され、自然災害も加わって人々の生活は非常に不安定だった。

そして東晋の皇室は中原から南京に追われ、悲観し消極的になっていった貴族たち。そうした心の苦悶から抜け出すために、貴族たちは再び政治を語らず、精神的な物を追求するようになった。そして不老不死や仙人になるということを唱える葛洪の神仙道教が最も影響力を持つ道教の宗派になり、多くの貴族が信奉するようになっていく。

 

「チャイナネット」 2009年9月7日

 

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