哲学者の梅原猛氏は、仏教移入以前から持っていたと思われる原「あの世」観について、次のような説をたてているということです(『日本人の「あの世」観』)。
(1) あの世はこの世と全くアベコベの世界であるが、この世とあまり変わりない。
(2) 死ぬと魂は肉体を離れてあの世に行って神になり、先祖と一緒に暮らす。
(3) すべての生きるものには魂があり、死ねば魂は肉体を離れてあの世に行ける。(以下略)
立川氏は、以下のように述べています。
「(日本人にとっては、)生と死の世界ははっきり断絶しているのではなく、どこかで連環しているという考えに通ずる。」
「じつは『死生観』という語も、日本語独自のものである。生死という時、それは生と死をはっきり切り離すのではなく、生から死へ、死から生への連続的なつながりを考え、生と死の間にはっきりとした断絶を考えない。」
日本人の葬式のやり方、また死後、死者を弔うやり方はいろいろなものがあります。死んでから一週間後、四十九日、百ケ日、1年後、2年後(三回忌)(ここまでは中国の習慣です。それより後の法要は日本で追加されたそうです)、6年後(七回忌)、12年後(十三回忌)、16年後(十七回忌)、22年後(二十三回忌)、32年後(三十三回忌)、49年後(五十回忌)と遺族らが集まって弔います。お墓参りも、一年の間に何度も行きます(なくなった命日、お彼岸、お盆など。)これらの習慣は中国といろいろ異なると思いますが、それを理解するためには、日本人の死生観を理解する必要があると思います。
日本では大災害で被害を受け、身近な人を喪った人に対して、「心のケア」「癒し」ということが言われます。これは日本人の死生観を暗黙のうちに前提として行われるものであるのかもしれません。
「おくりびと」が米国のアカデミー賞外国映画賞を受賞したということは、死者を弔うための日本人の習慣や感性が、米国人から一定の共感を得たということだと思います。四川大地震の際に日本の救助隊が中国人のご遺体に敬礼をした写真が中国国内で配信され、中国人から大きな共感と反響を得たことも思い出されます。
この映画を見た在日中国人の友人は、感想として、以下を私に述べてくれました。
―納棺の儀式については、最初はすこし違和感があったが、亡くなった人に対する敬意を示すものとして美しいとも感じた。
―映画で共感できるところは、家族への愛を描いているところ。
―日本人の死生観に関してあまりよく知らなかったが、このような死者とお別れする納棺の儀式は必要ではないかと感じた。将来、同じような儀式をするビジネスが、中国でも誕生するかもしれない。
(井出敬二 前在中国日本大使館広報文化センター所長)
「チャイナネット」2009年3月2日