映画界に身を置く
王馥荔さんが全国にその名を知られるようになったきっかけは、映画「金光大道」への出演だった。この映画は彼女にとって処女作でもある。この映画で、善良で優しい農婦の瑞芬という兄嫁さん役をりっぱにこなしたため、「天下第一の兄嫁さん」という名声を得るとともに、中国で兄嫁さんの鑑のような存在にまでなった。今になっても「兄嫁さん」と親しく呼ばれることがよくあるという。
京劇の役者から映画女優へと転身したのはまったく偶然のことだった。まず、ある日の京劇の公演で、映画関係者に発見された。2回目は、バドミントンをしていた時にある監督の目を引いた。この監督は彼女を、主演女優探しで難航している別の監督に推薦した。だが、残念ながら、これは初めての映画作品とはならなかった。
彼女の名を上げた2本目の映画は「天雲山伝奇」(日本の題名は「天雲山物語」)だった。これは、50年代中期から1979年までの20年余りの間における、宋薇、羅群、馮晴嵐という3人の男女の異なる人生と3人の間の矛盾と衝突を描いた物語。羅群はもともと活動的な若者だったが、後に反右派闘争で弾圧され、1979年になって名誉が回復された。馮晴嵐は羅群の無実を信じて、彼と結婚したうえ、夫のために身も心も捧げ尽くした末、思い残すこともなく幸せの中で死んでしまう。宋薇は反右派闘争で恋人の羅群との恋人関係を絶ち、愛してもいない呉遥と結婚して20年間にわたって暮らす。その後、羅群の名誉回復をあくまで主張したため、夫の呉遥と激しく口論し、婚姻関係も壊れてしまう。 王馥荔さんは細やかな演技力で、宋薇の内面の矛盾や苦しみ、あがきを浮き彫りにし、当時の特殊な時代におけるインテリたちの気持ちを、説得力をもって再現した。
1980年代には、この映画を持って日本で催された中国映画交流展に参加した。王馥荔さんの演技は東光徳間の故・徳間康快氏からも評価された。徳間氏は中国映画を日本に紹介するために、自ら資金を出すのを惜しまず、何回も中国の俳優たちを招待して中国の俳優たちを深く感動させた。この映画交流展の催しによって、王馥荔さんは一部の日本人にも知られることになった。今年5月に中国青年訪日代表団の特別招聘団員として日本を訪れた時には、彼女のことを知っていて近寄って挨拶したり、大ファンだと言って一緒に写真を撮ってもらおうとしたりする日本人が時々いた。観客、とくに国外の観客に好かれることは俳優にとってこの上ない幸福だろう。
この二つの映画の成功で、映画に身を投じる意欲が呼び起こされた。その後、数多くの役柄を演じ、そのほとんどが観客の共感を呼ぶことになった。これまで、映画・テレビ界ですでに30年余りを歩んできて、最優秀助演女優賞を3回、最優秀主演女優賞を1回獲得し、さまざまな数十人の役柄を演じた。