辜鴻銘(右)と吉田貞子(中央) |
日本人女性を妾とした辜鴻銘、康有為
辜鴻銘は、日本の女性は貧しい下層の女性でさえ温和で従順、純潔、敏感で誠実であり、女性らしさに富み、一種の高貴な気質を持っていると考えていた。こうした気質は元々は古代(特に漢や唐の時代)の中国の女性も持っていたものだ。日本の女性を賞賛する辜鴻銘は言葉だけでなく行動でも実践している。彼は日本人女性・吉田貞子を妾とし、彼女がいないと眠ることもできないほどだった。
また晩年の康有為も日本人の少女・市岡鶴子を妾としていた。1911年6月7日に康有為は梁啓超の招待に応じてシンガポールから日本へと移住している。翌年の春に康有為は家政婦としてとして16歳の市岡鶴子を雇った。
1913年に康有為が帰国してまもなく、市岡鶴子も上海に移った。辛家花園の遊存廬で鶴子は康有為の4番目の妻となった。1925年初めに28歳の鶴子は身ごもったが、同年康明為は68歳だった。同年秋に鶴子は日本に戻って娘を産み、凌子と名づけた。
「人民網日本語版」2010年4月6日