「変わった先生」―中国の視覚障害者に日本語を教える青木陽子さん

「変わった先生」―中国の視覚障害者に日本語を教える青木陽子さん。

タグ: 中国の視覚障害者 外務大臣表彰 天津 日本語 青木陽子

発信時間: 2010-07-20 16:51:32 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

北京の日本大使公邸では15日に外務大臣表彰式が行われ、団体では北京日本人会婦人委員会、個人では天津市視覚障害者日本語研修学校の理事長を務める青木陽子さんが受賞した。黄色に赤い模様の入ったスカートを着た青木さんは、優雅な姿勢で表彰状を受け取り、「どんなに困難でも、続けてさえいれば奇跡が起こると信じています」とあいさつの中で語った。

青木さんの人生にはまさに奇跡だ。青木さんは1961年11月に埼玉県で生まれた。父親は自動車学校の校長、母親は公務員。5歳の時に高熱で失明するが、青木さんはたゆまず努力し、抜群の成績で南山大学を卒業。その後、米国ニューヨーク州立大学に留学し、教育学の修士を獲得した。1993年8月には中国の天津市で中国語を学び、卒業後の1995年に天津で中国初の無料の日本語学校である天津市視覚障害者日本語研修学校を設立し、この学校も今年で15年目を迎える。

中国教育への多大な貢献により、青木さんは2000年に天津市政府から中国の永住権を与えられ、2001年には中国政府が外国人専門家に贈る「友誼賞」も授賞した。

「チャイナネット」は外務大臣表彰式の終了後に青木さんにインタビューし、中国人視覚障害者に日本語を教えることになったいきさつや考えなどについて話を聞いた。

受賞する青木陽子さん

――中国に来た理由について。

その当時に21世紀に最も発展する国はどの国だろうかと考えた時、頭の中に中国とアラブが浮かびました。アラブに女性がいるのは不便だと言う人もいて、中国は身体障害者の数も特に多く、まずアジアの中国で第一歩を踏み出すことにしたのです。中国はアジアの中心であり、中国が発展し始めれば他の国の身体障害者問題も解決すると思いました。中国を選んだのはそれが理由です。第一は身体障害者の問題です。

2つ目は、個人的には第二次世界大戦と関係ありませんが、日本は中国を侵略し、私たちの罪は永遠に存在しています。そのため中国で身体障害者に日本語を教えることが、私たち日本人が犯した罪を償うことだと考えたのです。

ですから困難に出くわした時、もし単純に中国が好きだからという理由なら、あきらめて帰国してしまうかもしれません。しかし私には大きな使命があり、必ず日中両国の友好のために貢献します。

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