日本企業が中国で勝つための「体」とは?

日本企業が中国で勝つための「体」とは?。

タグ: 日本企業 日本人 北京 インタビュー 中国 勝つ 川崎貴聖

発信時間: 2010-09-03 14:15:19 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

競争が激化する中国市場で、多くの日本企業が苦戦を強いられていると聞く。そんな日本企業の中国進出を様々な面からサポートし、経営における課題を共に解決していくのが、経営コンサルタントである川崎貴聖さんの仕事だ。

日本のコンサルティング会社・コーポレイトディレクションで働いていた川崎さんは08年、中国事業立ち上げのため単身中国へわたった。現在は中国法人の社長兼コンサルタントとして活躍する川崎さんに、立ち上げの苦労話から、中国市場で奮闘する日本企業についてまで、様々なことを伺った。

川崎さん自ら必要性を訴え、2008年に中国事業を立ち上げられたそうですが、当時、会社にとって中国事業が必要だと思った理由は?

中国事業を立ち上げようと思った理由は2つありました。1つは、日系企業が中国に「市場」を求める時代が近いうちに到来すると予測したからです。

弊社コーポレイトディレクション(以下、CDI)は日系企業を主要顧客としていますが、クライアント様が中国市場への進出や中国市場での事業拡大で悩む際に、それを支援する体制を整えておく必要があると感じていました。「中国ビジネスの支援はできません」、とは言えないと思ったわけです。

2つ目の理由は、私個人が中華圏に対して尋常ならぬ興味を持っていたからです。中華の思想、文化、歴史、言語が当時から好きでして、それと仕事がなんとか結びつかないものかと考えていました。「好きこそ物の上手なれ」という諺がありますが、それを実現できればどんなに幸せかと思ったわけです。

当時、どのように社内を説得したのでしょうか?

当時の私は28歳でした。一般的には会社の経営に口を出せる年齢・立場にはありません。しかし、このタイミングで自分達の会社を動かしておかないと、10年-20年先のCDIが「あの時、何故中国ビジネスを始めなかったのか」と後悔する気がとてもしました。また、個人の興味と仕事がリンクする、という夢に対してチャレンジせずに諦めるのももったいないと思っていました。結局のところ、使命感と好奇心が、年齢や立場といったものを忘れさせ、自分を突き動かしていたのだと思います。

社内を動かすことについては意外とスムーズでした。パートナーからスタッフまで中国法人を作ることに前向きでした。また、当時私が手掛けていた中国市場参入のプロジェクトのクライアント様から、「参入後も中国で支援して欲しい」とおっしゃっていただけました。そのような運も手伝い、進出の障害は殆ど何もありませんでした。

2008年度新人歓迎会集合写真。川崎さんが日本オフィスに出社した最後の日の集合写真です。

お一人で中国で会社を立ち上げられたときのエピソードを教えてください。

中国に駐在して3ヶ月間は完全に1人でして、本当に目まぐるしい日々でした。会社を設立しながら、目の前のプロジェクトの実行、営業活動、生活面で毎日生じるトラブルへの対処に追われていました。しかも、前例があればそれに倣うことができるのですが、社内では誰も経験したことがないので、自分で情報収集して判断して道を切り開いていくしかありませんでした。これらを異国の地で1人でやり切るのはなかなか苦労しました。

しかし、最も大変だったのは孤独との戦いです。オフィスにぽつんと1人で仕事していた時の気持ちは今でも良く覚えています。オフィスにいると孤独を感じるので、時間が許す限り、しょっちゅう上海の街を散歩して気を紛らわしていました。しかし、3ヶ月経ち、新しいメンバーが来た時にこの状況は変わりました。仲間がいるということ自体に感謝しなくてはならないと強く感じました。現在は当時と比べて人も増え、中国オフィスの環境は大きく変わりました。あの原風景が、まるで遥か昔の出来事のようです。

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