朱実:中日国交正常化直前の「バレエ外交」体験談

朱実:中日国交正常化直前の「バレエ外交」体験談。

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発信時間: 2010-09-08 10:30:21 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

朱実

中米関係の雪解けに一役買ったのは「ピンポン外交」であるが、1972年に中日関係の国交正常化を後押ししたのは「バレエ外交」である。

資料写真(左):松山バレエ団に会見する毛沢東主席

資料写真(右):周恩来総理と3人の「喜児」(王昆氏、松山樹子氏、田華氏)

私が中国人民対外友好協会の国際関係事務所で働いていたときのこと、日本の、特に文化方面の友好団体の訪中を多く接待していた。その関係もあって、1972年、上海芭蕾(バレエ)舞踏団が朝鮮と日本で公演をするとき、私はマネージャーとして参加した。主に、スケジュールの調整などの事務的な仕事を担当していた。その年の5月、バレエ団は先に朝鮮で、金日成総書記の60歳の誕生日祝賀会のための公演を行なった。帰国し、北京で1ヶ月休養した後、『白毛女』と『紅色娘子軍』の両演目と他の訪日期間中に上演する演目の練習が始まった。

45年ぶりに中国の舞台に戻ってきた貞松融さん 

『白毛女』が結んだ周恩来と松山バレエ団の深い友情 

胡錦涛主席が松山バレエ団を訪問 

日本松山バレエ団が演じた『白毛女』の舞台写真 

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