八路軍と共に生きた日本人:従軍看護師の半生

八路軍と共に生きた日本人:従軍看護師の半生。 私は福岡県の片田舎で生まれ育ちました。1945年5月、中学を卒業したばかりの私は、3人の同級生と共に遼寧省錦州市にあった満鉄(南満州鉄道株式会社)の看護師学校に第5期生として進学しました。進学後まもなく、8月15日、敗戦の日、日本が無条件降伏したことが校内の放送で流れました…

タグ: 八路軍 日本人 従軍 看護師

発信時間: 2010-10-24 10:56:45 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

八路軍の従軍看護師

1947年になると、戦況が激しくなり、前線部隊にも手術が出来る医療スタッフが必要になってきました。私は体が丈夫で、手術室看護師の経験もあったので、その医療チームのメンバーに選ばれました。そのチーム長がドイツ人医師ハンス・ミラーでした。初めて彼を見た時、私は「八路軍の中に欧米人がいるなんて!」と本当に驚きました。 ドクター・ハンス・ミラーは医師として優れた腕を持っており、仕事に対しても責任感が強く、またとても率直な人でした。

四平戦役、平泉戦役、隆化戦役と、私は従軍看護師として派遣されました。負傷兵の手術は地元の農家の空き家を借りて行いました。レンガを両側に積み上げ、家の扉や引き戸を外し、レンガの上に載せ、消毒した布をかぶせたら手術台の完成です。夜、戦火が夜空を赤く染める頃になると、地元の農民らが負傷兵らどんどん送り込んできます。次の日の朝5時ごろ、国民党の飛行機がまだ出動しないうちに、負傷兵は、各農家の扉に縄を縛り運びやすくした簡易担架に載せられ、後方基地の病院まで4人がかりで運ばれました。手術室がなくても扉が手術台になり、多くの負傷兵を助けることができ、担架がなくても、扉を担架代わりにすれば病院まで送り届けることが出来たのです。私は彼らのアイデアや実行力にとても感動しました。今でもあの時の様子が目に浮かんできます。

ドイツ人医者のドクター・ミラーとの縁

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