八路軍と共に生きた日本人:従軍看護師の半生

八路軍と共に生きた日本人:従軍看護師の半生。 私は福岡県の片田舎で生まれ育ちました。1945年5月、中学を卒業したばかりの私は、3人の同級生と共に遼寧省錦州市にあった満鉄(南満州鉄道株式会社)の看護師学校に第5期生として進学しました。進学後まもなく、8月15日、敗戦の日、日本が無条件降伏したことが校内の放送で流れました…

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発信時間: 2010-10-24 10:56:45 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

一生中国に住み続ける

夫をよく知る人はみなこう言います。「ドクター・ミラーは誠実で他人に優しく、正直な人。誰かが間違いを犯した場合、それが誰であっても厳しい態度を崩さない人」と。娘のミミーは父親に似たのかとても率直で、思ったことを何でも正直に言います。ある時、娘に「自分のお父さんとお母さんのことをどう思う?」と尋ねたことがありました。そうすると彼女はこう答えたのです。「お父さんのいいところは、誠実で正直なところ。お母さんは働き者で、公私混合しないところが素晴らしいと思う」と。

子どもたちが小学校に上がる頃になると、私は怖い母親として恐れられるようになりました。子どもたちが何かしでかすと、罰としてまず外に立たせたものです。子どもを外に立たせ、家の用事をしている内に、子どものことをすっかり忘れていた、なんてこともありました。夫は厳しい態度で私を責めました。「子どもが納得し自分で反省するまで親は説明しなければならない。君はそれすらしないで、まず子どもを罰している。そのような教育方法は子どもにとってよくない」と。

「仕事に勤しむ両親の背中を見て育った」と子どもたちは言います。息子は清華大学経済貿易学科、娘は同じく清華大学のオートメーション科を卒業しました。娘は結婚して今はスイスに居ます。ソフトウェア開発の仕事をしており、周囲からは才女と呼ばれる存在のようです。とても真面目に仕事に取り組んでいます。息子は貿易関係の仕事に就いており、ずっと香港で暮らしています。一男一女に恵まれ、外祖父母が一緒に住んで世話をしてくれています。私には3人の孫がいますが、みんな遠く離れた所で暮らしています。毎年夏休みになると会いに来てくれます。

夫のドクター・ミラーは中国籍に帰化し、また中国共産党にも入党しました。夫は生前「僕らは八路軍によって出逢い、軍隊の中で夫婦となった。これからも中国にずっと住み続けてほしい」と私に言ったことがあります。確かに、あの時、八路軍と行動を共にしなかったならば、まったく別の人生が待っていました。日本に戻り、専業主婦になっていたでしょう。この素晴らしい人生を授けてくれた中国共産党に、私は感謝しなければなりませんね。

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2010年10月24日

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