長年日本に滞在していた魯迅がなぜ「水に落ちた犬は叩け(凶暴な犬が溝に落ちたら、弱っているうちに、さらに追い討ちをかけるべきだという意味)」の思想を持っているのか、私には分からない。日本の有識者はこう言う。弱者に配慮するのは、日本人の倫理道徳の一つである。戦後以降、日本人が中国に対しずっと「譲歩」してきたのには、侵略に対する反省の念が含まれている。そして、中国が戦後何十年もの間、貧困から脱出できなかった原因がまさに自分たちの過去の行為にあることを認識し、申し訳なく思っていた。しかし今、中国経済は発展し、強大化し、そして日本を越えた。彼らは、今度は中国が日本に配慮するべきだ、少なくとも、以前のように戦争責任や謝罪問題において日本をまくし立てるべきではないと考えている。
日本では師道の尊厳に重きを置かれている(今ではだいぶ廃れてしまったが)が、「一日為師終身為父(一日の師は一生の父)」と言う考え方は存在しない。中国から見れば、自分は何千年もの間、日本の師であったのだから、日本は恩に着るべきだと思うのだろうが、その「学生」が一旦「師道」の過ちに気付けば、すぐに離れていってしまうということに気付いていない。
日本の近代における「脱亜入欧」も一方的に責め立てることはできない。アヘン戦争を通して、このまま中国について行けば、日本も大清帝国と同じように西欧列強の植民地となるほかないことに、当時の日本の学者が気付いたのだ。
近年変化した日本の中国に対する態度には、嫉妬心が含まれているのだろうか。筆者はそれをはっきりと感じたことはなく、中国経済が日本を追い越す心の準備を、ある一定の時期に日本人が済ませていたことがうかがえるだけである。
「もちろん羨望や嫉妬心があるが、それを表に出さないだけだ。自分の嫉妬を認めることは『敗北』を意味し、(中国に追い越された)現実を認めないことでかろうじてそれを避けているのだ」と言う声もある。
日本が釣魚島で表に出した「苛立ち」は、「敗北」を認めたことの表れだったのだろうか、それとも「自信」喪失の表れだったのだろうか。(『国際先駆導報』11月2日付けの報道より)
(つづく)
(3)国旗:愛国精神
(4)権力:「青年将校」
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2010年11月5日