文=馬挺(在日中国学者、早稲田大学政経学部現役講師)
冷静かつ公平に論じて、日本人は「過去の戦争」に対し、すでに相当反省しており、更に今なお反省中である。しかし、中日文化の違いは、それぞれの思想方法にも表れている…
先日、中国人の同僚から聞いた話だが、近年、日本で中国語や中国関連問題を教える日本人教師の間で「親中派」が減少し、代わりに、若い「嫌中派」が増えているという…
(3)国旗:愛国精神
10月16日東京の六本木で中国大使館に向けて行われたデモ行進を見て、私は確かに驚いた。白く広がる日の丸の群れは、来日20数年になる私も見たことがなかった。
日本人の日の丸をまるで大事にしない様子は、世界でも珍しいことだ。多くの日本人、特に反戦教員は正式な場面で国旗に敬意を示すことを嫌う。これは、かつて日本の軍国主義が侵略を進め、国民を苦しめた象徴であった「日の丸」に対するせめてもの反発である。
戦後一時期、「日の丸」は占領軍によりその掲揚を禁止された。その後解禁され国旗となったが、法的根拠はずっとなかった。1999年にようやく法律ができたが、原案の国旗(及び国歌)を尊重するよう要求する内容の条項は削除された。
日本人の「愛国心のなさ」については、筆者が寄稿した『もう一つの日本』(「国際先駆導報」のサイト2008年6月2日の記事参照)でも触れている。日本の戦後における反戦活動や教育の中で「愛国」の言葉はかき消されてしまった。中国人は、日本人になぜ「愛国」心がないのか理解できないが、逆に日本の学生は中国人の「愛国」心を「ナンセンス」だと言う。特に中国で行われている「愛国主義」教育は理解に苦しむという。一般的な日本人にとって、国家とは国民と対立するものであり、政治の機械になり果てた「国家」を愛するなどもってのほかなのである。
戦前戦中、軍国主義は極端な「愛国主義」を推し進め、「皇民化」教育で人々を戦略戦争の戦場へと送り込んだ。そのため、戦後の日本の教育界及び民主勢力は「日の丸」や「君が代」を含め、「愛国」という言葉が再び右翼のファシズム教育の道具となることを恐れ、警戒心を強めていた。
しかし、それと同時に近年、国際体育競技において次第に力をつけてきた日本は、「日の丸」を出現させる機会も増えてきた。特に若者たちにとって、それは喜びや自尊心の象徴となりつつある。そのため、右翼が「日の丸」等を利用しファシズム思想を広め、日本の若者に「愛国」心を持つよう呼びかけることに対する反感も以前より小さくなっている。
日本の戦後教育において、反戦的要素は非常に強い。しかしそれは二つの欠点とも言うべき特徴を持つ。一つは過激であること、もう一つは極端であることだ。
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