1970年代の創設当初は、米国やカナダと積極的に交流していたが、80年代からは重点を中国との交流に移した。主な交流方法は、両国間で10~15歳の子どもを互いに派遣し、ホームステイをさせるというもの。派遣された10人ほどの子どもは、相手国の一般家庭に半月から1カ月間ホームステイし、L.S.E.と相手国側の関連団体が共同で催す一連の活動に参加する。
同会を創設したのは会長の長屋洋子さんだ。長屋さんは若いころからこの事業に力を注いできた。40年間、青少年の国際言語文化交流、特に中日の青少年交流に力を入れ、中日両国と両国国民の相互理解と友好増進に大きく貢献してきた。中国共産党対外連絡部や中国国際交流協会で要職についた張香山氏は、L.S.E.の中国での活動に多大な支援と援助を行った。
長屋さんは対中事業をさらに積極的に進めるために、自ら先頭に立って他の会員たちといっしょに中国語を学んでいる。彼女は非常に指導力があり、視野の広い、明るい性格の傑出した社会活動家で、中国に対する思いは熱い。中国との交流は、ホームステイから始まって、日本で学ぶ中国の若者の援助にまで拡大し、愛知県で学ぶ中国人留学生に対し勉学、生活、仕事などの面でさまざまな援助を行っている。長屋さんとL.S.E.を自分の恩師とみなし、家族のような温かさを感じている中国人留学生も少なくない。
40周年記念式典は非常に盛大で、700人もの人が参加した。3人が挨拶に立ち、一番目は豊橋市の佐原光一市長、二番目は中国代表の劉遅氏、3番目は米国代表であった。宴会には400人余が出席し、駐名古屋総領事をはじめとする中国側ゲスト4人が、豊橋市市長ら現地の幹部といっしょに主卓についた。宴会の始めの挨拶をしたのは、日中経済文化交流会会長と、駐名古屋総領事の2人であった。
宴会の余興もとてもすばらしく、在日中国人二胡奏者の張濱さんと彼の楽隊が1時間余も中日両方の楽曲を演奏し、私たちを楽しませてくれた。二胡の演奏が終わると、長屋さんの夫である長屋孝美氏が、「二胡には弦が2本あるが、1本は中国、もう1本は日本を象徴する。1本の弦では曲を奏でることはできず、2本の弦が合わさってこそ、美しい旋律が生まれる」と語った。