チェルノブイリ事故25周年 福島の現在

チェルノブイリ事故25周年 福島の現在。 チェルノブイリ原発事故から25周年という特殊な日に、福島県に車を走らせた。以前行われた「日本で最も美しい村」コンテストで、飯館村は最終候補39村に入った。現地の人々はそのことを非常に誇りに思っているそうだ。現在、政府の一声により、全村民はいつ帰れるかも知らされぬまま、故郷を離れざるを得なくなった…

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発信時間: 2011-04-27 11:50:29 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

役場で「被災証明」手続きを行っていた中年女性は記者に対し、競馬場で働いており、以前はアルバイトもしていたことを教えてくれた。しかし、現在は地震と原発事故の影響により、競馬場は閉鎖され、アルバイトも見つからなくなったという。その女性は「今後どうすれば良いか全く分からない」と嘆いていた。その女性によると、飯館村に出された避難要請に関して、村には明確な説明がなく、村人は混乱しているという。「お金がないから一人で避難することもできない。みんなと一緒に避難したい。」女性はそう述べた。飯館村役場の職員も記者に対し、「村民約6000人の内、少なくとも5000人ほどがまだ家にいる。避難の準備に時間がかかるため、すぐに避難というわけにもいかない」と述べた。

以前行われた「日本で最も美しい村」コンテストで、飯館村は最終候補39村に入った。現地の人々はそのことを非常に誇りに思っているそうだ。現在、政府の一声により、全村民はいつ帰れるかも知らされぬまま、故郷を離れざるを得なくなった。「村民からは当然不満が出ている。しかし、どうしようもない…。」役場のある職員は力なく話した。

一方、福島第一原発から半径2,30キロの範囲内にある南相馬市は事故後すぐに「警戒区域」に指定された。南相馬市役所の高橋政彦氏は記者に対し、「全市民の半分近くの人はすでに避難した。ここに残っている人たちも工場が止まっていたり、スーパーや銀行が閉まっていたりと普通の生活が送れなくなっている」と述べた。

市役所の1階には東京電力の相談窓口が設置してある。人々は長い列を作って、「仮払い補償金」の申請書を取りに来ていた。列から少し離れたところに、茨城県による被災者受け入れの告知が貼ってあった。告知には、被災者に対し、少なくとも1年、最長で3年間無償で住居を提供することや、仕事を提供することなどが記してあった。なお、受け入れは、子供のある家庭が優先だという。

「避難できる人はみんな避難した。」警戒区域から1キロ離れた場所で小売店を経営する古内良子夫妻は記者にこのように話した。古内夫妻の話は、記者が道中で見かけた光景を裏打ちするものだった。どの家にも人の気配がなく、庭に飾られた立派な木々だけが、この地に裕福で幸せな家庭があったことを示していた。

どうして他の地域に避難しないのかと聞くと、古内夫妻は「私たちが避難してしまったら、残された人はどこで食べ物を買うのか?みんな避難してしまったら、南相馬は本当に終わってしまう」と述べた。自身の信念を貫く姿勢は、小売店の入り口に貼ってある「がんばれ南相馬」、「留守番隊」という言葉にも表れていた。「最も危険な時期は過ぎた。もう怖いものはない。」

南相馬が今後どうなるかは分からないが、古内夫妻は「私たちは一生ここで暮らす」と話した。

 

「中国網日本語版(チャイナネット)」2011年4月27日

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