日本国際救助隊は、中国四川5・12大地震発生後、外国の救助隊として最初に現場に駆けつけた。廃墟に佇み被災者たちに黙祷をささげる彼らの姿が、今も私たちの目に焼きついている。
日本の3・11大地震後、四川省『華西都市報』の記者は、大変な苦労を経てようやく彼らと連絡を取ることができた。彼らは、今回の大地震の救助活動を行っているため、メールによる取材には大変多くの手間と時間がかかった。
日本国際救助隊島田一郎隊員:出発時より気が重かった帰国
記者:当時、日本の救助隊が被災者に対し黙祷を捧げる様子を写した写真に多くの人々が胸を撃たれました。その時、救助隊の皆さんは、どんなお気持ちだったのですか?
島田氏:黙祷しながら情けない気持ちでいました。頭を深く下げたその時、とても複雑な思いでした。救助に加わったその時から、私たちはみな必ず生存者を救い出そうと考えていましたから。北川中学以外の他の救助現場でも、同じような黙祷を行いました。
記者:帰国後、心理カウンセリングを受けられたそうですが、当時の地震が救助隊の皆さんに与えた衝撃はどのようなものでしたか。
島田氏:帰国後、私の気持ちは出発時よりも沈んでいました。それまでの不安感はなくなったものの、重苦しい挫折感がありました。身体的な疲労は、日本に戻って2週間ほどでなくなりましたが、その挫折感はとても強烈なもので、2ヶ月以上続きました。テレビで四川の映像が流れるたび、たとえそれがパンダや九寨溝のような観光名所の宣伝広告であっても、私の心の奥底にあるその挫折感が蘇ります。その気持ちは一時的に弱まっているだけで、これからも影のように、一生私に付きまとうことになるかもしれません。
記者:被災地は、現在大きく変化しています。もう一度こちらにいらっしゃれば、その挫折感を和らげることができるかもしれません。
島田氏:もし機会があれば、もう一度四川に行きたいです。そして様々な苦難を乗り越えてたくましく生活する四川の皆さんや、私たちを温かく支えてくださった方々、そして一緒に肩を並べて戦った北京や綿陽の消防部隊の皆さんとお会いしたいです。
日本国際医療救助隊小倉健一郎副隊長:日本も四川に負けない強さを