これはこの町の住民と鯨との密接な関係を表している。現地の人によると、むかし貧乏だった漁民にとって、捕鯨はほかの魚類を捕ることとなんら変わるところはなかった。くじらは食物として苦しい環境の中で伝承されてきた飲食文化だった。鎖国時代には鯨油は現地の灯台をともすためのもっとも主な原料で、灯明崎山には今も「鯨油」を使っていた灯台の遺跡が残っている。
現在、太地町及び周辺地域の一部の人、特に直接漁業に従事している家庭では依然として鯨肉を主要な肉食にしているが、捕鯨は厳しく制限されており、また国際世論から非難されていることもあり、鯨を原料とする食品の種類は大幅に減少している。くじら関係の加工食品の多くは太地町以外の地域へ販売される。