3番目、政権安定性に基づいた外交問題に対する国会運営について。(組織的処理問題)
これは、首相がかわろうとも、「ねじれ国会」の状況はかわっておらず、また党内においても派閥がいくつかにわかれていますから、野田氏がどんなに努力しようとも、不安定な状況に変わりはありません。よって、中国との関係においては根本的な新しい方向性への舵取りをすることはできず、中国政府からすれば(中国の国益のために)その日本の政治的空白を利用しながら、外交的な様々なプレッシャーをかけ続けることが予想されます。そして、日本はそうしたプレッシャーを押し返す能力を、野田政権下において持ち得ないでしょう。(中国からだけでなく、米国からのプレッシャーに対しても同様のことがいえますね。)
国会運営上、外交問題では結論を得ずに議論が空転されるだけとなるでしょう。
4番目、首相個人の対中国思想について。
もうひとつ外交に関わる観点として、よりインフォーマルな見方があり得ます。前述の「内政タイプ」の政治家という意味は、これはあくまでも、オフィシャルな話でありまして、書面上といいますか、事務的な作業としての味方です。そうではなくて、もっと「人間的」な感情として、野田新首相が中国という一つの国に対してどのような考えを持っているのかということがあります。これは客観的な議論・ロジックではなくて、個人の感情論としての中国外交姿勢ということもできますね。
野田新首相は各所での報道でもあるように、これまで、いわゆる「対中国強硬派・タカ派」でした。「A級戦犯と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではない」との発言からもその様子がみえます。
この野田新首相の「思想」について、僕の政治活動の経験から考えます。如何にしてこうした「思想」を持つようになったのか、ということを考えます。
野田氏は24年間ずっと駅で「朝立ち」(朝に一人で駅の前に立って、通勤者のみなさんにご挨拶をする活動です。)をやっていました。これは容易なことではなく、野田氏の真面目さ、良い意味での執念深さ(?というと語弊がありますが)、ねばっこさ、などが感じられると思います。そして、このような草の根活動から市民の考えを多く吸収してきたでしょう。本当に地道な活動です。その意味で、野田氏は市民の顔、市民の意見がよくわかっている政治家であると思います。決してパフォーマンスだけでやっているのではないでしょう。
ですから、「対中国強硬派・タカ派」というのは、野田氏のパフォーマンスではなく、日本の多くの市民の意見も多く反映して、野田氏が代弁していることは間違い有りません。これが、野田氏が「内政タイプ」と呼ばれるひとつの所以でもあります。(ちなみに、もし「総理の立場としての外交」を考えたならば、例え本心ではそう思っていたとしても、「A級戦犯と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではない」と発言することは非常に注意して取り扱うべきです。野田氏も民主党代表になってから、政府見解云々・・・と発言を撤回する旨を表明していますね。)