長期的虐待を受けてきた子供たちは、戦いを止めなかった。彼らは連名で、ときの千葉県知事である沼田武氏に手紙を書き、施設内の真相を知らせ、救いの手を求めた。しかし外の世界が美しいのは見た目だけだった。知事の返信は杓子定規なもので、「私とともに明るく豊かな千葉を作りましょう」といった内容だった。千葉県庁も「権限がない」との理由で、この子供たちに対し、見て見ぬふりをした。
子供たちはそれでもあきらめず手紙を書いた。市民に向けて、人間らしい待遇を受けられるように訴えたのだ。1999年9月、日本のテレビ局が「恩寵園」の虐待事件をとりあげた。これにより、日本にもこのような恐ろしく異常な世界が残っていることが、全国の人々に知れ渡った。
这些长期遭受虐待的孩子们,并没有放弃抗争,他们又联名给时任千叶县知事的沼田武写信,希望知事能够了解到设施里的真相,伸出援手救他们出火坑。可是外面的世界呢,却只是看起来“美好”。知事在回信里跟孩子们打官腔,“请和我一起共建一个光明富裕的千叶”,千叶县政府也以“没有权限”为理由,对孩子们的痛苦视若无睹。
孩子们依旧没有放弃,他们写信,向市民陈诉,他们要求的只是人的待遇。1999年9月,日本电视台将“恩宠园”的虐待事件公布于众,全国的日本人这才知道,在城市的某个地方,竟然还存在着如此黑暗异常的世界。