当時すでに約20年間の高度経済成長を経ていた日本では、国民の生活条件が大幅に改善されたが、同時に青少年の健康問題が出現し始めていた。本紙記者は2008年1月に訪日し、日本体育協会の山田剛総務部長をインタビューした。山田氏は当時を振り返り、「ジャンクフードの氾濫、運動時間の不足により、日本の青少年の健康が悪化を続け、象のような太い足をした小太りが街中を歩いていた。日本政府はこれを受け、一部の人の運動成績を向上させるだけではなく、大部分の人にスポーツに参加させることが根本的な課題であるという自覚に至った」と語った。
限りある国家予算の中、日本政府は競技スポーツに充てていた資金の多くを、学校の体育を含む一般人のスポーツに移した。これはかつて日本国内で反発を引き起こした。山田氏は、「日本代表団は東京五輪で、余りにも優秀な成績を収めた。金メダル数第3位はまさに神話だ。政府の突然の政策変更は、一部の反発を引き起こした」と振り返った。
4年後のメキシコシティオリンピックにおいて、日本代表団の成績が急激に悪化した。しかしこれは序章に過ぎない。1988年のソウルオリンピックの閉幕時、金メダル数ランキングの上位10カ国には、日本が含まれなかった。アジア一の体育王国であった日本は覇者の玉座を譲り渡した。1982年の第9回アジアオリンピックにおいて、日本は初めて金メダル数首位から転落し、中国代表団が首位になった。