東京五輪の1964年から40年後、日本代表団は2004年のアテネオリンピックで、再度16枚の金メダルを獲得した。この40年間は日本の競技スポーツにとって長く苦しい道のりであったが、確かな成果が得られた。東京五輪終了後、日本は国民スポーツ事業の発展をスポーツ事業の重心とした。日本の競技スポーツの成績は悪化を続けたが、大衆スポーツおよび学校体育により基礎固めを行った。日本の競技スポーツは40年後のオリンピックで復活し、力強い生命力を獲得した。
40年以上が過ぎ、東京五輪が今日の日本社会に残した最も貴重な遺産は何だろうか。東京五輪をリアルタイムで観戦した50歳以上の日本人にとって、五輪の感動と興奮の時間は一種の遺産である。しかし山田氏が語ったように、日本の全国各地にあまねく分布する運動の場、学生の体育活動時間と空間の確保、競技スポーツと大衆スポーツの調和的発展が、日本国民全体に利益をもたらした。
北京五輪が閉幕してから4年が経過するが、中国人に当時どれほどの感動をもたらしたとしても、その記憶は日増しに薄れていくだろう。「比べられるもののない」オリンピック、中国代表団の記録的な金メダル数はすでに歴史となったが、これは北京五輪の真の人文遺産にはならない。喜ばしいことに、北京五輪の人文遺産の発掘に注目する専門家・学者が増加している。オリンピック教育・スポーツマンシップの伝承は、現在の中国社会、特に青少年にとって非常に重要だ。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年12月22日