シンガポールの華字紙『聯合早報』は5日に掲載した記事の中で、「首相再任した安倍晋三氏は、外交の重点を日米同盟関係の強化に置く。安倍氏は日米安保条約に思い入れがあり、安倍氏の政治的背景と密接に関連している。母方の祖父の岸信介氏は、日米安保条約を締結した当時の首相で、安倍氏は日米安保の揺籃の中で育ったと言える」と指摘した。
安倍氏は初の首相就任時に『美しい国へ』を執筆し、自らの政治的思想と政権運営の抱負を書き記した。1960年代、安倍氏は満6歳になった年に、日米安保条約の誕生を間近で目撃した。
安倍氏は同書の中で、「安保条約の締結の1日前の1960年6月18日に、国会議事堂と首相官邸の周辺には33万人のデモ参加者が押しかけ、治安維持の機動部隊が出動していた。あのころ、祖父は首相官邸内に閉じ込められ、大叔父(佐藤栄作元首相、当時は財務相)とワインを飲んでいた。私は祖父が、この決定(日米安保条約の締結)は間違っていない、これによって命を失っても良いと語るのを聞いた」と記した。
幼い安倍氏は、当時「反安保」とは何かを理解していなかった。安倍氏は、「祖父の家の周辺がとても賑やかで、私もいつかデモ隊の真似をしながら、部屋の中を駆けまわり反安保と叫んでいた。父(安倍晋太郎元外相)は私に、安保賛成と言うよう命じた。私は祖父に駆け寄り、安保とは何かとたずねた。祖父はやさしく、米国が日本を守るための条約だ、彼らがなぜ反対するのか理解できないと言った」と書き記した。