第二次世界大戦 日本も原爆の製造を計画していた

第二次世界大戦 日本も原爆の製造を計画していた。 核兵器を保有しようとしていた日本の野望は、十分なウランとプルトニウムを手に入れることができなかったことから、志半ばでくじかれたのだった…

タグ: 日本 原爆 製造 化学

発信時間: 2013-08-23 11:39:24 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

◆豊富なウランがなかったことが失敗に

日本陸軍は核兵器の製造を諦めてはいなかった。上述の海軍の報告書が発表されてから間もなく、陸軍は気体拡散法によって、核分裂の連鎖反応をするウラン235の分離実験を始めた。しかし、目覚しい成果は得られず、その上ウラン235は天然ウランにわずか0.7%しか含まれておらず、実験に必要なだけの十分なウランを確保できないことも明らかになった。化学者はこれまで、日本のウラン鉱床には、少なくとも2万トンの高品質なウラン鉱石があるとの見方を示していたが、その判断は間違っていた。

そのため、日本軍部の指揮官らは自身の管轄地域内で核兵器の原料を探すよう命じられていた。日本の当時の同盟国であるドイツにもウラン鉱石の提供を求める打診があったという。結果、いくらかの原料が見つかったものの、1944年にようやく、数ミリほどのウランとフッ素の化合物である六フッ化ウランの結晶を生成するだけで精一杯だった。陸軍の実験室は結局、米軍の空襲で崩壊し、戦争が終わっても再建されることはなかった。仁科の頭文字を取って命名された「N計画」はそのようにして失敗に終わったのである。

一方、1943年3月に原爆開発計画を放棄した海軍は再び動き出した。同年秋、戦況がますます不利になっていると感じた日本は、京都大学と共同で「F計画」と呼ばれる計画をスタートした。「F」は「核分裂(fission)」の頭文字である。この原爆開発計画は、日本の有名な物理学者である荒勝文策の主導で進められ、遠心分離法によるウラン235の分離実験を計画していた。

しかし、技術的な壁やウラン鉱石の不足などにより、「F計画」もまた、期待していた成果を挙げることはできなかった。荒勝は結局、自身の開発した遠心分離機が必要とされる毎分10万回の回転数に達することはできないことを認めざるを得なかった。これをもって「F計画」の失敗は明らかになった。しかしながら、「N計画」も「F計画」も原子爆弾を製造する初期段階には到達していた。

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