◆「原爆の雨が降る」ことの脅威
3つ目の原爆が投下される可能性があるとの物理学者らの見立てが間違っていないことは間もなく証明されることとなった。9日の長崎の原爆投下後、3つの四角い箱が長崎周辺に投下された。箱の中には測定機器のほか、アメリカのロスアラモス国立研究所で、アメリカ・カナダ・イギリスによる原子爆弾開発・製造計画である「マンハッタン計画」に参加していた3名の物理学者からの手紙が入っていた。手紙は日本の著名な物理学者である嵯峨根遼吉に宛てられたものだった。嵯峨根はかつて、手紙の差出人である物理学者らとカリフォルニア大学バークレイ校で一緒に研究に携わったことがあったのだ。アメリカの物理学者らは手紙で、「戦争を続ければ、深刻な結果を招く」ことを日本の軍部に警告するよう嵯峨根に求めた。
手紙の末尾には「日本が投降を拒否すれば、これまでの数倍にも及ぶ原子爆弾の雨を日本に降らせる」と書かれていた。
日本の原爆開発計画が成功したと仮定した場合、日本は核兵器を実際に使用しただろうか。当時の首相である東條英機が全面的な核戦争を求めていたことを示す証拠はないものの、日本が核兵器の使用において、アメリカよりも慎重な立場を取っていたとの推測が事実ではないことは確かである。原爆を投下したアメリカに対する非難や責任追及を目の当たりにした日本は、「核兵器の使用については慎重な姿勢だった」ことを更に強調するようになった。もし、日本がアメリカよりも先に核兵器の製造を成功させていたとしたら、世界の歴史が変わっていただろう。
(文/ハンス・ルーレ)