◆アメリカの原子爆弾は「一つだけ」という判断ミス
1946年、日本が効果的な爆弾を製造する計画を立てているとの噂が流れていた。爆弾の実験に関する報道さえあったが、これはただの噂話に終わった。日本の原爆開発計画は終始、実戦で使用できるレベルに到達することはなく、作戦に登場することもなかった。
原子爆弾の製造における日本の物理学者の功績は微々たるものだったが、広島と長崎に原爆が投下された後、物理学者らが政府に提供した意見は極めて貴重だった。1945年8月6日、原子爆弾「リトルボーイ」が広島に投下されたが、政府はどのように対処すれば良いのか全く分からずにいた。投下から1日経ってからようやく、政府は「これは一種の最新型の爆弾である」と発表した。原爆投下の翌日、仁科や荒勝などの物理学者は専門家らによる緊急対策チームを立つ上げ、初歩的な分析で「これがウラン235を用いて製造された原子爆弾である」という正確な答えを導き出した。
しかし、この物理学者らによって出された答えは、「致命的な間違った推測」を招いてしまった。物理学者らは自分たちの経験から、ウラン235の生産は非常に高コストであることを知っていたため、アメリカが保有するウラン235による爆弾は「これ一つだけである」と判断した。この判断は確かに間違ってはいなかった。しかし、これにより、日本政府は原爆の被害への対処とアメリカが要求している無条件降伏について、ゆっくり話し合う時間があると勘違いしたのである。
8月9日、物理学者はようやく正式な報告書を発表したが、同時にもう一つの原子爆弾「ファットマン」が長崎に投下された。
「ファットマン」に関する物理学者らの初歩的な分析も間違っていなかった。「これはプルトニウム型の爆弾である」。プルトニウムは原子炉で生産し続けることができるため、日本はアメリカが再びプルトニウム型の爆弾を使用することを考慮し、備えなければならなかった。