放射能被害
松村さんはかつて1万6千人が暮らしていた富岡町から訪れた。事故後、富岡町を含め、福島原発の周辺住民10万人の「被害者」が、他地域への移住を余儀なくされた。
彼ら避難住民と同じく、松村さんと吉澤さんも事故後生計を維持できなくなった。彼らの農場、農産品および家畜は当局によって安全ではないとして「接触禁止」とされた。
しかし、二人は故郷を離れることを拒否。吉澤さんは、「故郷や避難住民が捨て去られても、家畜や人はまだ生きている。だまっちゃいられない」と訴えた。
松村さんも富岡町に残り、たとえ家族が離れても40頭の家畜を世話し続けた。吉澤さんの「希望の牧場」では360頭の牛が飼育されている。吉澤さんはこの数を600頭まで増やそうと努力している。
吉澤さんは、これらの牛は食用として販売するのではなく、「放射能の被害を受けたという生きた証拠だ」と話す。
また、吉澤さんらは餌となる植物を確保するため、動物の殺処分の停止と同時に汚染を受けた植物の焼却の停止を政府に求めている。
AP通信によると、福島原発周辺の一部地域では除染が進み、一部住民が帰郷しているものの、発電所周辺の一部地域では雑草が生い茂り、牛や豚、犬などの動物が“放射能塗れの土地”で放浪しているという。
日本政府は以前、これらの地域の除染には数十年かかるとしたが、汚染レベルの高さから、この地域に暮らしていた人々は永遠に故郷に帰ることができないだろうと指摘する科学者もいる。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2014年6月23日