日本軍は1931年9月18日、「中国を征服するには先に満蒙を征服し、世界を征服するには先に中国を征服する」という宣言を実行に移し、関東軍を派遣し中国東北部の駐屯地と瀋陽に侵攻し、九一八事変(日本名・満州事変)を故意に引き起こした。
この日は中国人民抗日戦争の出発点となった。中華民族はこの日完全に目を覚ましたが、そのために3500万人以上の多大な犠牲を強いられた。14年間の不撓不屈の粘り強い抗戦を経て、中華民族は日本の軍国主義による侵略戦争に対抗し、最終的に勝利を収めた。
九一八事変から83年が過ぎるが、これが国民にもたらした苦しみと恥の記憶が忘れられることはない。この屈辱の歴史を胸に刻むため、全国各地でさまざまな記念活動が実施される。安徽公文書館は本日、抗戦資料を初公開する。その70数件の資料は、日寇が安徽省を侵略し、中国で血の罪を犯したことを証明する鉄の証拠だ。黒竜江省は9時から9時10分にかけて、全省統一の防空警報を鳴らす。遼寧省は九一八事変を記念するため、国際連盟中国調査団の、九一八事変の真相を示す公文書を前日初公開した。これらの資料には、国連中国調査団が発表した九一八報告書などの92件の資料(手書き・電子版)が含まれる。見学者が国のために犠牲になった革命の烈士に思いを馳せ、歴史を忘れず、警鐘を鳴らし続けられるようにするため、九一八事変83周年の前日にこれらの資料が公開された。
日本国内ではこのほど、政治の右傾化が激化している。安倍新内閣が発足してから間もなく、新閣僚がナチスを崇拝する日本の極右団体の代表者とツーショットを撮影していたことが、欧州メディアによって伝えられた。海外メディアはこのツーショット写真について、「安倍首相の身辺は右翼の政治家ばかりなのかと疑わざるを得ない」と報じた。日本の専門家も、「右翼内閣が誕生した。これほど危険なことはない」と称した。