「撫順の奇蹟」とは
「撫順の奇蹟」ということですが、これは宗教でもオカルトでもありません。この言葉自体は、日本人戦犯たちといっしょに撫順戦犯管理所に拘留されていた溥儀=中国2千年の歴代王朝の最後の清朝皇帝、かつ日本の傀儡政権・満州国の皇帝が、その戦犯管理所での出来事を「人類文明史上の奇蹟」と讃えたことから来ています。それは一体何だったのでしょうか。
そもそも「奇蹟」とは「常識では考えられない神秘的な出来事」(『広辞苑』)です。ではここでの「常識」とはどのようなことでしょうか。その「常識」と「奇蹟」とはどのような関係にあったのでしょうか。中国側の立場に立てば、日本の侵略者によって肉親や愛する人を殺されたり犯されたり強制連行されたり(拉致といってもいいでしょう)、財産を破壊され奪われたりしたことに対して、怒りや憎しみや恨みをもって復讐することでしょう。実際、世界の戦犯裁判では千人もの人たちが処刑されており、中国でも国民政府では百人以上の日本人とその協力者が処刑されています。
新中国成立後にすべての戦犯が解放され無事帰国したとき、岡村(敗戦時の支那派遣軍総司令官)らは感謝の気持ちを披瀝したでしょうか。まったくありません。それどころか新中国に敵対する運動をしきりに策動していたのです。最高司令官であった岡村らは当然戦犯として裁かれる覚悟をしていたでしょう。撫順の管理所に収容された日本人たちも、当然極刑に処されると信じていました。
このような「常識」を完全に覆し、中華人民共和国では周恩来総理を先頭に「戦犯といえども人間だ、必ず変わるし変えることができる」との信念をもって、感情を抑えて日本人(人民)を許し戦犯に対して寛大に優しく粘り強く対応し、ついに彼ら自身が侵略者としての罪を自覚し、主体的に「鬼から人間へ」と変身するように導いていったのです。これが第一の「奇蹟」です。こうして日本人は一人の処刑者も出さず、病死した人以外は全員、無事に帰国したのでした。