ではどう考えれば、またどうすれば、こういう事態を無くし未来の平和と安寧を確立していけるのでしょうか。そんな風に思い悩んでいる時に、戦後5年間もシベリアで過酷な暮らしを強いられ、その上さらに6年間も中国の撫順戦犯管理所に収容されながら、無事に帰国された元戦犯たちの次のような言葉を聞いたのでした。
「戦犯管理所は人間らしさを取り戻す学校だった」「そこで自分は鬼から人間へ変わった」。この人たちは、その「変わった」ことを事実として証明するために、帰国後「中国帰還者連絡会」を結成し(撫順だけでなく太原の戦犯たちも加わって)、侵略戦争とそこでの加害の実態を訴えることによって、戦争に反対し平和と日中友好の運動に邁進したのでした。その真摯な姿勢と精力的な証言活動は、まさに「人は変わることができる」ことを感動的に実証したのです。
(二)「撫順の奇蹟」はどのようにして生まれ、「許しの花」はどのようにして咲いたのか
良くも悪しくも「人が変わる」にはその道筋というものがありましょう。一般的に考えれば、人がどのように成長していくかということになりましょう。人は生まれ育ち、教育されて知識を蓄積し認識を高め、自分なりの精神を形成していく。戦前でも今日でもこの過程そのものは変わらないはずですが、そこにおいて「人間が人間らしく」成長するのか、そうではない方向に進んでしまうのかは、何らかの決定的な契機とか環境が存在するでしょう。もし「人間らしく変わった」という言葉が真実を語っているとすれば、その裏には逆の「人間らしくなくなっていった」「人間から鬼に変わっていった」過程が存在するはずです。実はこの逆の過程の方が、歴史を多少とも知る者には容易に理解できることなのです。
戦前では先ず、日本は現人神あらひとがみである天皇を戴いただく世界に燦然と輝く神国であることを徹底的に教育されていました。そんな神の国なのだから、他国他民族は日本より劣った軽蔑されるべき存在でした(子供のころ愛読した田川水泡の漫画『のらくろ』では中国人はブタ、朝鮮人はサルとして描かれ、日本人は勇敢・忠実なイヌだった。イヌのほうが偉いなんて言えるのかどうか!?ロシアを恐ろしいクマとして描く漫画、ポスターなども出回っていた)。優秀な民族が劣等民族を教え導くことはもちろん、強制力をもって服従させるのも当然だと意識されていました。これが人間(他国他民族の人々)を人間とも思わず、彼らの人格と尊厳を無視し、虐殺、強奪強姦、強制連行などの非人間的行為を正当視する心理と精神、すなわち「鬼」的日本人を子供のころから養成していったわけです。また神の国だから負けるわけがないという不敗神話が、こうした傲慢な人種差別・民族差別意識と思想・精神が侵略、植民地化を正当化し、それによって苦しめられる被害者がどれだけ沢山居るかという加害者意識を完全に失わせてしまったのです。