1984年の3000人訪中団が植えた「種」、日本各地で開花

1984年の3000人訪中団が植えた「種」、日本各地で開花。 1984年秋、3000人の日本の若者が招きを受けて中国を訪れた。訪中した日本の若者の多くはすでに、50歳を超えている。この訪中体験は彼らに何をもたらしたのか。歴史の瞬間を目の当たりにした彼らは今、何をしているのだろうか…

タグ: 訪中団 若者 帰国

発信時間: 2015-10-24 09:14:28 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

2.帰国後は各地に分散

実は、大平氏ら当時の訪中団員を探すのにはかなりの手間がかかった。当時の日本人の若者の訪中活動は杭州と南京、西安、武漢の4路線に分かれ、政治や経済、文芸など各分野の215団体が参加していた。参加者の多くは1950、60年代生まれだったが、最年長は1897年生まれ、最年少は日本のスター歌手の芹洋子の娘でわずか2歳だった。

記者はまず、当時の3000人の詳細情報がまとめられた名簿があることを知った。活動主催者の一つである日中友好協会に電話すると、3000人の若者は全国各地から選抜されており、訪中後は解散したので、友好協会の理事や顧問を務めたメンバー以外についてはその後の動向はわからないということだった。友好協会に1冊だけ残っているというメンバーの名簿は3、400ページにのぼり、デジタル版はないという。記者は北京にいたため、友好協会の職員が、協会とまだ交流のある当時のメンバーと連絡を取ってくれることとなった。

記者はこれとは別に、1984年に訪中したというある日本人から、中国側の熱烈な歓迎と日本人参加者の高揚の様子を聞いたことがあった。だがこの人物にもう一度連絡を取ると、「仕事が忙しい」という理由で取材を遠回しに拒否されてしまった。

また日本人の友人から、衆議院議員の海江田万里氏が当時の訪中団の一員だったとも聞き、すぐに連絡を取った。返信はすぐに来たが、残念なことにこの3000人の一人ではなかった。また菅直人元首相と木寺昌人元駐中大使の妻が当時の団員だったという情報もあり、取材要請を送ったが、返信を得られなかった。

だが悪い知らせばかりではなかった。問い合わせの過程で、日本青年団協議会顧問の小野寺喜一郎氏が3000人訪中団の総団長であったことがわかった。日本青年団協議会を通じて連絡を取った小野寺氏は、記者の電話を喜び、すぐに取材に応じてくれた。

日本では若者だけでなく、中高年者もブログを持っている。香川県三豊市議会議員の大平敏弘氏を知ったのは、ブログの文章がきっかけだった。記者は二度にわたって連絡を取ったが、電話を取ったのは氏の婦人で、取材はだめとのことだった。大平氏が所属する三豊市議会を通じて改めて連絡すると、すぐに話を聞かせてくれることとなった。

日中友好協会からも良い知らせが伝わってきた。友好協会の常務理事の大薮二朗氏の連絡先を教えてくれたのである。記者が大薮氏に取材の意図を知らせると、「記者は嫌いだし、記憶力もよくないが、それでもいいならいらっしゃい」と言ってくれた。記者はさらに、友人を通じて、日中経済協会理事企画調査部長の十川美香氏を紹介してもらった。

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