日本国際救援チームのメンバーだった糟谷良久さん(写真右)と医師の中島康さん。
2018年5月11日、四川大地震日本国際救援チームのメンバーだった糟谷良久さんと医師の中島康さんは11日から14日にかけて、「四川大地震10周年国際シンポジウム・第4回大陸地震国際シンポジウム」に参加し、北川の被災地を再び訪れた。両氏は15日、チャイナネットの記者の取材に応じ、感想を語った。
中島康さんは、「10年後に北川を再び訪れ、旧市街地から車で40分の距離にある平原地帯に新北川県城が建設され、被災した多くの場所がそのままにされているのを目にした。これは日本と違う方法だが、非常に意味のあること。残すことで当時発生した全てのことを後世に伝えることができる」と話した。糟谷良久さんも、「このような方法は、震災の恐ろしさと防災の重要性を後世に伝えることができる」と述べた。
2008年5月12日、中国の四川省でマグニチュード8.0の大地震が発生し、その破壊力は世界に衝撃を与えた。震災後、日本政府は中国政府の必要に応じ、日本国際協力機構(JICA)を通じて61人からなる国際緊急救援チームを派遣した。当時、日本の救援チームは北川県中心部とそこからやや離れた北川中学校を中心に救援活動を展開した。地震で壊滅し余震が続くという厳しい状況の中で被災者の命を救うために懸命に作業する救援チームの姿、遺体発見時に哀悼する姿は中日両国で反響を呼んだ。
日本の救援チームの撤退後、日本政府はJICAを通じて23人からなる国際医療チームを派遣した。医療チームは成都市内の華西医院を拠点に、中国側スタッフとともに急診、放射性、ICU、血液透析、産科、薬剤などの分野で作業した。救援活動中に華西医院を訪れた温家宝元総理は、日本政府と人民に感謝の意を表した。