東日本大震災から8年 5万人以上が今も帰宅できず

東日本大震災から8年 5万人以上が今も帰宅できず。

タグ:東日本大震災

発信時間:2019-03-11 13:59:52 | チャイナネット | 編集者にメールを送る


 生存者は命は助かったが、家族を失った悲しみはなかなか消えない。東日本大震災の被災地である岩手県大槌町に「風の電話」というものがあり、多くの人が犠牲者に電話をかけに訪れる。


 「風の電話」はガーデンデザイナーの佐々木格さんが2011年4月に設置した電話ボックスで、ダイヤル盤はあるが、電話線が繋がっておらず、ここを訪れた人は大声で泣いたり、静かに追想したりする。佐々木さんは、「表面上は強がっていても、内心はとても脆い。彼らが亡くなった家族に心の扉を開けられるといい」と話した。


避難者「故郷を離れても、放射能がまだ心配」


 東日本大震災に伴う津波により岩手県、宮城県、福島県の3県を中心とする多くの地域が深刻な被害を受けた。最多約47万人が避難し、全国でまだ約5万2000人が避難生活を続けている。


 2017年、日本政府は福島の広範囲の避難指定を解除したが、多くの住民が帰宅を拒んだ。2月に『朝日新聞』と福島地方テレビ局が実施した調査によると、福島県民の60%が今も放射能を心配している。


 42歳の二平和子さんは2011年、10歳にもならない2人の娘を連れて福島から東京に避難し、夫は福島に残り、別居生活は彼らの感情面と経済面に圧力をもたらした。二平さんは週7日働き、政府の「自主避難者」への補助金も支給されなくなったが、「帰らない」と彼女の意志は固い。


 若者と比べて、高齢者はこれまで生活してきた故郷に戻りたいという思いが強い。90歳の木村洋子さんの自宅は大熊町にあり、今も政府の「帰宅困難区域」に指定され、地方当局の許可を得て月に2回だけ帰宅している。


 彼女は、「特に何かをするわけでもないが、ここは空気が新鮮で、心が落ち着く。唯一の望みは、ここで生活すること」と語った。

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