2.アジア四度の五輪における種目新設ゲーム
初回の1896年アテネ五輪大会では陸上、競泳、ウエイトリフティング、射撃、自転車、レスリング、体操、フェンシング、テニスの9競技種目しかなかった。2020年東京五輪になると、種目数は33に増え、金メダル数も339枚に上った。1896年アテネ五輪から2020年東京五輪までの125年間で多くの国が、自国に有利な競技種目をオリンピックに引き入れた。
(1)国際オリンピック委員会と開催国とのパワーバランス
オリンピックにおける競技種目の新設はハードルが高く、審議の過程が複雑である。しかし競技種目の新設に関しては、時期によって多少違いはあるものの、五輪開催国が一定の提案の権限を持つ。大雑把に整理すると、1984年ロサンゼルス五輪まで、五輪大会のビジネスモデルが確定せず赤字続きで大会開催国(都市)の確保が困難だった。そのため、国際オリンピック委員会(IOC:International Olympic Committee)と開催国(都市)のパワーバランスはより後者にあり、競技種目の新設に関する主導権も後者に有利だった。
1984年五輪では開催都市の申請はロサンゼルスのみであった。それを契機に、ロサンゼルス五輪ではピーター・ユベロスの主導で放送料権の入札、1業種につき1社に限定でのスポンサー契約など思い切った取り組みが行われ、テレビ放送料権、スポンサード(協賛金)、観戦チケット販売の3本柱からなるビジネスモデルが確立され、五輪大会の収益が急増した。さらに、衛星伝送技術による全世界に向けたテレビ中継により五輪人気が高まった。これにより、IOCのパワーが増大し、新設種目に関するIOCの規制も徐々に強まった。
(2)アジア五輪での競技種目の新設
アジアにおいて、初めてのオリンピック開催は1964年東京五輪であった。日本は開催国の地位をうまく活かし、柔道とバレーボールを新設競技種目として取り入れることに成功した。
1964年東京五輪で、日本は4枚あった柔道の金メダルのうちの3枚を取った。バレーボールでは2枚の金メダル争いのうち、いわゆる「東洋の魔女」が女子の金メダルに輝き、男子は銀メダルを獲得した。同大会で日本は合わせて16枚の金メダルを獲得し、その四分の一を新設競技種目の柔道とバレーボールが占めた。
アジアでの二度目のチャンスは、1988年ソウル五輪であった。この大会では卓球が新設競技種目入りし、バドミントン、テコンドー、野球も初めて公開競技としてオリンピックの舞台に登場した。
ソウル五輪で、卓球は直ちに韓国に2枚の金メダルをもたらした。バドミントンと野球はソウル五輪での公開競技を経て1992年バルセロナ五輪に、テコンドーは2000年シドニー五輪でそれぞれ正式競技種目となり、韓国の金メダル獲得種目となった。卓球、バドミントン、テコンドー、野球の4種目はこれまでの五輪大会で、韓国に合わせて22枚の金メダル、13枚の銀メダル、27枚の銅メダルをもたらした。
残念ながら2008年北京五輪において、競技種目の新設は成らなかった。中国は自ら金脈を掘るチャンスを逃した。
日本は、競技種目の新設にあたり、1964年東京五輪の経験と、その後半世紀の準備期間を踏まえ、2020年東京五輪で一挙に5つの競技種目を新設することに成功、金メダル攻防戦における礎をさらに強固にした。