4.武術の五輪への道程
武術をオリンピック競技種目にするのは中国人の夢である。特に柔道、テコンドー、空手が相次ぎ五輪正式競技種目となったいま、夢実現への思いはさらに強まっている。
(1)武術はこれまで、なぜ五輪の正式競技種目になれなかったのか。
武術にとって2008年北京五輪は正式競技種目になる絶好のチャンスであった。しかし主催国の「特権」を駆使したにも関わらず、武術は最終的に同五輪期間では「2008年北京五輪武術トーナメント」としての特別開催にとどまった。その後の五輪大会においても武術はいまだオリンピック正式競技種目にはなれていない。
十分な準備期間がなかった故であろうか?柔道の場合は、1951年に国際柔道連盟(IJF:International Judo Federation)の設立から1964年東京五輪で正式競技種目になるまで13年かかった。テコンドーの場合は、1973年にワールドテコンドー(WT :World Taekwondo)が設立し2000年シドニー五輪で正式競技種目となるまで27年かかった。空手は、1970年の世界空手連合(WUKO:World Union of Karate Organizations)設立から2020東京五輪での正式競技種目採用まで50年を費やした。
武術の場合は、1990年国際武術連盟(IWUF:International Wushu Federation)の設立から2008年の北京五輪まで18年もあった。この時点ですでに柔道の場合より準備期間が長かった。さらに2020年東京五輪までは30年の準備期間を擁していた。その意味では決して時間が足りなかったとは言えないだろう。
実際の問題は、武術の競技種目としての中身の設置戦略にあった。
武術を北京五輪正式競技種目として申請するにあたり、2001年に国際武術連盟がIOCに提出した設置案の中身には、男子は長拳、南拳、刀術、棍術の4種目が、女子は長拳、太極拳、剣術、槍術の4種目が挙がった。競技種目としての中身が煩雑で統一したルールもなく、審議が通らなかったのも当然であった。
(2)柔術をスポーツへと生まれ変わらせた柔道
前述のように、武術と対照的な事例は柔道である。柔道の成功要因には、嘉納治五郎が早くも1882年に柔術理論及び技術の体系をとりまとめ、危険性のある技を取り除き、近代的な訓練方法を制定したことが挙げられる。これにより伝統的な柔術は、近代的な柔道というスポーツへと生まれ変わった。1909年東洋初のオリンピック委員会委員となった嘉納治五郎のような近代スポーツに理解のある人物による柔術のスポーツへの改造が、極めて重要な役割を果たした。
第二次大戦後、日本は世界に柔道を積極的に広めると同時に、スポーツとしての柔道の規範をさらに改善し、世界に受け入れられる競技へと発展させた。
1964年東京五輪で日本は柔道を金メダル4枚の正式競技種目として、織り込んだ。その後徐々に性別、重量別の金メダル数を増やし、最終的に15枚の金メダルを誇る一大競技種目に仕立て上げた。柔道は、いまや日本のオリンピックにおける大金脈となっただけでなく、日本の歴史文化を世界へ伝える一大ソフトパワーともなっている。
柔道の経験から見ると、武術の五輪への道は先ず種目の中身をシンプルに絞る必要がある。数多くの武術種目をいくつかの競技種目に分け、段階的にオリンピックに織り込んでいくことが考えられる。
何より大事なのは、伝統的な武術を近代的なスポーツへと変貌させていくことである。そのためには、柔術を柔道へ変身させた嘉納治五郎や、テコンドーを近代スポーツとして形を整えた崔泓熙のような人物を中心に協議を重ね、五輪競技種目化への整備を進めることが重要となる。
(3)太極拳に的を絞る
上記の分析から、武術の五輪への道は先ず、国際的な愛好者の多い太極拳に的を絞って進めることが考えられる。
現在、世界の太極拳愛好者は億人単位にのぼると言われ、国際的な知名度も好感度も高まっている。太極拳を五輪種目入りさせるには、以下に挙げる3つのステップが必要であろう。
①数多くの流派がある太極拳を、近代スポーツとしての太極拳として、その統一的な競技ルールを取り決める。
②太極拳を国際武術連盟に属するひとつの種目として留め置くことなく、独立した国際太極拳連盟を設立し、IOCの認可を得る。
③国際的な普及を進め、オリンピック正式競技種目として申請する。正式競技種目となった後にも継続して同種目における金メダルの設置数を増やしていく。
自国の伝統文化をオリンピックの金脈として形作るには、正確な戦略と長期にわたる努力が欠かせない。