ごく普通の日常生活が営まれていたチャン族の住宅街を歩いた。一階が押しつぶされ、ゆがんで半ば崩れたアパートから悲しみがにじみ出る。一九九五年、阪神・淡路大震災の一カ月後、北海道新聞論説委員として現地に足を踏み入れた時の記憶が蘇った。地震発生後、新聞やテレビで情報として被害状況を理解していたつもりだったが、神戸市三宮から徒歩で被災地に入ると、自然の圧倒的な威力に足がすくんだ。自分の五感を総動員して脳裏に焼き付けられた印象は強烈だった。震災に遭わなかった私でさえ、無力感をひしひしと感じさせられた。
今回、北川県、德陽市、綿竹市漢旺鎮など各地の地震遺跡を見て、家族、知人友人を失いながらも、生き延びた人々は心の問題にどのように向き合っているのだろうか、また、公的機関の対策はどうだろうかという疑問が頭をもたげた。新興鎮寿陽泉の再建された農村に住む主婦・趙梅海さん(61)は「地震が来たのは農作業の合間の昼寝の時でした。生まれて初めてのことで何が起きたかさっぱり分かりませんでしたが、外に飛び出しました」と、当時を振り返り、「今でも、たまにですが、地震だ、と夜中に目が覚めることがありますよ」と、語ってくれた。新しい住宅に大いに満足しているという趙さんの表情は明るかったが、軽度のトラウマ(精神的外傷)が残っていることは間違いないようだ。
「地震後、心のケアを最も重視してきましたよ」と、郭山鷹・汶川県党の委員会宣伝部副部長は同県被災民の心理的な側面の立ち直りを支援してきたことを強調し、「震災後三年の間に、そうした理由で自殺に追い込まれた人は県内に一人もいません」と、胸を張った。
また、北川県チャン族自治県心理衛生センターの康力氏は震災後の心理的な健康障害について次のように説明してくれた。①ストレス②不眠③自律神経失調④抑うつが代表的な症状で、年齢、家庭環境などさまざまな条件によって軽重の差があり、「きわめて個人差が大きいため、心理学専門家、医師、政府機関の職員がチームを組んで定期的に観察を続けなければなりません」と、説明してくれた。