資料写真:日本帝国海軍に所属した航空母艦「信濃(しなの)」
3対3で、結論が出なかったため、会議は中止され、臨時の内閣会議を招集することにした。臨時内閣会議においても同様に結論は出ず、出席者は互いに顔を見合わせた。
鈴木貫太郎は臨時内閣会議を再び最高戦争指導会議に改め、天皇を招請し、さらに枢密院議長の平沼騏一郎を呼び寄せた。これが御前会議であり、場所は皇居の防空壕だった。
鈴木は一人ひとりに意見を求めたが、6人の指導者の意見はやはり3対3で、時間はすでに8月10日の午前2になっていた。この時、鈴木貫太郎は意外な行動に出た。立ち上がるや、「このように長い時間を費やしても意見を統一できないことは、非常に遺憾である。意見が一致しないため、陛下のご意思をお聞きし、陛下のご趣旨に沿って会議の決定の行う」と一句、一句は明瞭に述べると、天皇の前に赴いて深々と頭を下げた。
天皇は歯切れよく述べられた。「ならば、朕は朕の意見を申す」
天皇のお言葉は非常に多く、最後に「これにあたり、忍ぶべきは忍び、三国干渉の際の明治天皇を回想し、朕は戦争の終結を決心する」
時間は1945年8月10日2時30分、その場は涙声に包まれた。
御前会議終了後、外で待ち受けていた閣僚たちによる内閣会議が直ちに召集され、「国体の維持」を前提に「ポツダム宣言」を受け入れることが決まった。同時に、スイス駐在公使の加瀬俊一とスウェーデン駐在公使の岡本季正を通じて米英中ソ4カ国に通知した。
米国務長官ジェームス・ビルネスは日本の投降要請は受け入れられないとの考えを示した。これは投降のための条件があるということであり、「ポツダム宣言」の日本に関する無条件降伏の条項に違反するからだ。だが、陸軍長官スティムソンと海軍長官フォレスターは、日本本土上陸作戦における犠牲を回避するため、日本人の投降要請を受け入れるべきだと考え、結果的に非常に公平な案が採用された。ビルネス国務長官が、日本人が投降条件を受け入れる回答を起草するというものだ。