日本海軍興亡史 3年余で灰燼に帰したのは

日本海軍興亡史 3年余で灰燼に帰したのは。 8月8日早朝、東郷茂徳と鈴木貫太郎は協議した後、皇居に赴いて昭和天皇に拝謁、最高戦争指導会議を招集して「ポツダム宣言」を受け入れて、戦争を終結させるという提案事項を議論した…

タグ: 日本 海軍 歴史 ポツダム宣言 天皇

発信時間: 2011-01-04 15:23:56 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

日本人は40年も満たない間に全世界に嘱目される強大な海軍を輩出した。だが、強大な海軍も強大な「ストロー」を開いては、決して富強でない国のすべてを吸い干してしまった。最後に、この海軍は3年余りの間に灰燼に帰した。

強大な海軍は強大な陸軍と違い、短時間に建設することはできない。誇張して言えば、百年の海軍は大量の装備、施設や要員を必要とするため、大量の金銭を消費しなければならないからだ。国力がなければ、強大な海軍を保有することはできず、前世紀に海軍力の構図に極めて大きな変化が生じたことは、大英帝国王室海軍の零落と日本海軍の壊滅が如実に証明している。

日本人はある事実をもっていわゆる「百年の海軍」が1つの伝説に過ぎないことを証明したことがあり、日本海軍が世界強大な軍隊に仲間入りするまで40年もたっていないが、日本人はある事実をもって「強大な国力があってこそ強大な海軍を持てる」ことは証明できなかった。

――俞天任著・語文出版社発行「茫々たる大洋が賭場 日本帝国海軍興亡史」より

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年1月4日

 

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