●賭金すべてすった博徒の選択
日本帝国の帥海軍大将・東郷平八郎
8月8日早朝、東郷茂徳と鈴木貫太郎は協議した後、皇居に赴いて昭和天皇に拝謁、最高戦争指導会議を招集して「ポツダム宣言」を受け入れて、戦争を終結させるという提案事項を議論した。
深夜23時、駐ソ大使の佐藤尚武はようやくソ連外交人民委員モロトフからの佐藤の引見を承諾するとの通知を受け取ったが、佐藤はモロトフの執務室に入っても準備していた敬意を表する言葉がすぐに口にから出てこなかったため、モロトフに手を挙げて制止された。その後、非常に事務的な口調で「私は貴大使に以下の事項を通告するよう命を受けました」と述べ、言い終えると、一枚の紙を取り出し、ソ連の対日宣戦布告を読み上げた。
一時間後、ヴァシレフスキー元帥とマリノウスキー元帥率いる157万のソ連赤軍は4000台のタンク、5000機の航空機の支援の下、満州の120万の関東軍名義を盗用した日本の老人や虚弱な敗残兵に対し見事なまでの挟み撃ちを展開した。
8月9日の最高戦争指導会議はこうした中、午前11時前に召集され、会議が始まったばかりの11時02分、長崎が2個目の原子爆弾の攻撃を受けた。
会議に参加したのは、首相の鈴木貫太郎海軍大将、外務大臣及び東郷茂徳、陸軍大臣の阿南惟几陸軍大将、海軍大臣の米内光政海軍大将、参謀総長の梅津美治郎陸軍大将と軍令部総長の豊田副武海軍大将の6人。鈴木首相はドアを開けて山に目を向け、「広島が原子爆弾の攻撃を受けたほか、現在はソ連が参戦しており、情勢から見るに、戦争はすでに継続することはできず、『ポツダム宣言』を受け入れるしかないが、みなさんの意見はどうか」
「ポツダム宣言」受け入れに反対する者はいなかったが、阿南惟几と梅津美治郎、豊田副武、この軍部3人の指導者は3つの条件を提起した。
1.日本の軍事的占領の範囲と時間を可能な限り縮小する。
2.日本人が自ら軍事解除を行う。
3.戦犯の懲罰は日本人自らが行う。