日本海軍興亡史 3年余で灰燼に帰したのは

日本海軍興亡史 3年余で灰燼に帰したのは。 8月8日早朝、東郷茂徳と鈴木貫太郎は協議した後、皇居に赴いて昭和天皇に拝謁、最高戦争指導会議を招集して「ポツダム宣言」を受け入れて、戦争を終結させるという提案事項を議論した…

タグ: 日本 海軍 歴史 ポツダム宣言 天皇

発信時間: 2011-01-04 15:23:56 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

資料写真:日本海軍 飛空挺母艦 「秋津州」

最終的にジェームス・ビルネスが起草した「ビルネス回答」は、日本人が現在見てもやはり泣くに泣けず笑うに笑えないものだろう。「天皇及び日本国政府の統治権は、連合国軍最高司令官の制限の下において行使する」。こうして日本人の投降に同意するとともに、さらにスティムソンとフォレスターの再び戦争はしたくないとの希望を満足させ。

このように、日本政府が租借案を受け入れる準備をしていたころ、米連邦政府は実際にはまだ日本に海軍を再建させる決定を下していなかった。太平洋における記憶が実に極めて深く、恐れてもいた。アーレイ・バークは米国政府に日本海軍の再建に同意するよう説得し、後にバークは海軍作戦部長に就任していた間、さらに力の余すところなく日本の海上自衛隊を支持、さらには米国の国防予算で艦船を建造して海上自衛隊に賃貸し、16機の最新式P2V対潜哨戒機を米国海軍が装備する前に海上自衛隊に引き渡した。

現在の海上自衛隊は4万6000人を抱えており、16隻の通常潜水艦艇、6隻のイージス艦を含む約50隻の作戦艦、ヘリコプターや対潜哨戒機、電子官制機を含む200機の航空機を保有している。編制は潜水艦隊と航空集団、護衛艦隊などに分かれている。

こうした艦隊の実力は一体どうなのか判断は難しいが、軍隊の戦闘力は決してそのハードの構成からのみ決定できるものではなく、軍隊の戦闘力は装備する武器というハードのほか、士官と兵士によるこうした武器運用のレベル、さらに重要なのは、軍隊の戦略的思想と伝統である。とくに海軍については、戦争経験のない海軍は海軍であるとは言えず、勝利したことのない海軍も強大な海軍であるとは言えない。こうした理由から、たとえソビエト帝国が最強を誇っていた時ですら、ソビエト海軍を立派な海軍などと誰も考えなかった。

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