決断力を欠く政府と秩序のある国民 日本式「合成の誤謬」

決断力を欠く政府と秩序のある国民 日本式「合成の誤謬」。 大地震に対し、日本社会は平静かつ整然とし、人々は自己犠牲の精神を示した。しかし、日本の人々は遺憾にも、原発事故の予防と対応において、先見性と判断力に欠けた決定機関とある種の即断性を欠いたメカニズムを目の当たりにすることになった…

タグ: 地震 決定力 政府 秩序 国民 日本 合成の誤謬

発信時間: 2011-03-29 10:26:21 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

記者は3月15日早朝、羽田空港に向かった。出発前、朝日新聞を手にしたが、目を通していなかった。飛行機に搭乗し、新聞を見ると、1面の「高濃度放射能漏れ」というタイトルが目に入り、ひどく驚かされた。北京の日刊紙「新京報」が伝えた。

日本の大地震が直接およぼした災害はさほど大きくなかったが、地震が引き起こした「二次災害」はあまりにも大きかった。地震が引き起こした津波が1つ目の二次災害だとすれば、福島原発の爆発と放射性物質の漏えいは2つ目の二次災害といえるだろう。1つ目よりも2つ目の破壊力は大きく、影響の続く時間も長い。

公表された情報を振り返って分析すると、大地震は回避できないが、予防はできる。地震の二次災害は予防はできないが、少なくとも損失を減らすよう対策を講じることはできる。日本は地震の直接被害を予防することには長けているが、二次災害の拡大を抑制することに関しては、かなり劣っていることが今回の災害により明らかになった。

地震を予防する最も有効な方法は、建物の耐震強度を上げ、人々に防災教育を行うことである。日本のこの分野に関する準備の良さは今回の地震で証明された。特に、建築物の耐震性の高さは驚くべきものだった。

しかし、原発事故に対する日本の対応には、非常にがっかりさせられた。福島原発の二次災害に対する設計には明らかに欠陥があった。地震が引き起こした津波により、非常用発電機はストップし、原子炉の運命を唯一握るバックアップ電源が破壊されたことで、一連の災害が起きてしまった。

1960年代に建設され、それほど先進的でない原発に対し、その後の半世紀の間、誰もその安全性について疑わなかったのだろうか?また、原子炉の電源が壊れ、冷却系統がストップした際にも、強力な力をもつ機関の介入という話は出ず、結局東京電力が対応にあたることになった。しかし、利益を優先的に考える東京電力の遅い対応により、更に大きな災害を招いてしまった。

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