第二次世界大戦は61の国と地域、20億以上の人々を戦争に巻き込み、その範囲面積は2200万平方キロメートルにも及んだ。日本は戦前に朝鮮と台湾を併呑し、戦中には中国、フィリピン、ベトナム、ラオス、ミャンマー、カンボジア、マレーシア、シンガポール、インドネシア、ブルネイ、パプアニューギニア等の国々及び当時イギリスの植民地だった香港等の地域を侵略したが、唯一、猫の額ほどのマカオには手を出さなかった。その理由とは?広州市『羊城晩報』の報道。
劉成禺の『世載堂雑憶』によれば、日本が二戦中にマカオに手を出せなかった理由は、主にブラジルの口上書にあったという。
劉成禺は、清朝末期から民国期にかけての重要人物として、多くの歴史的出来事をその身を以って経験してきた。彼の著作には、『洪憲紀事詩』、『世載堂詩集』、『太平天国戦史』、『世載堂雑憶』等がある。中でも20万字近くに渡る『世載堂雑憶』は、彼が1940年代に上海の『新聞報』文芸・学術欄で発表した短文で、当時広く読まれていたものである。
本書では、清朝末期から民国期にかけての人物事跡や、政治制度、社会変革などを多方面から描いている。この中で、彼は二戦で日本がマカオを侵略しなかった理由について比較的詳細に解説している。
古代ブラジルは、インディアンの居住地だった。1500年4月22日、ポルトガルの航海士ペドロ・カブラルがブラジルに漂着、この地を「サンタ・クルス」と命名し、ポルトガル領と宣言した。ポルトガルの植民者による略奪は、紅木の伐採から始まったことから、「紅木(Brasil)」がその国名となった。
16世紀30年代、ポルトガルはブラジルに遠征隊を派遣し、植民地の総督とした。ブラジルは土地が広く人口が少ないため、なかなか開発が進まない。そこで、ともにこの南アメリカ州最大の面積を持つ国を開発するため、ポルトガルは清朝に、中国人の移民歓迎の意を示したことがあった。