後の面倒を避けるため、ポルトガル植民者は、以下の条件を提示した。(1)ブラジルに移民を希望する中国人は、ブラジル国籍に入ること。(2)ブラジルに移民を希望する中国人は、家族とともに移住すること。単独1名での移民はできない。(3)ブラジルに移民を希望する中国人は、農工業を生活の糧とすること。仕事を持たない者は拒否する。
中国人は昔から住み慣れた土地を離れたがらないため、これらの条件は、彼らにとって、根こそぎ引き抜かれ、祖国との関係を完全に絶ってしまうことに等しく、当然誰も移民を希望しなかった。また、清朝としてもこれらの条件に不満を持ち、ポルトガル植民者の相手をするのも面倒になってきた。
この中国の反応を見たポルトガル植民者は、仕方なく交渉相手を土地が狭く人口の多い日本に変更した。日本はそれを快く受け、次々に大量の労働力をブラジルへ送り込んだ。二戦開始までにブラジルに渡った日本人は300万人以上に上る。
二戦中、日本がほしいままに侵略を進める様子に、ポルトガル植民者はマカオまで日本に取られてしまうのではないかと憂慮し、ブラジルから日本に向けて口上書を送らせた。そこには、「日本が武力でマカオを侵略するならば、ブラジルは全ての日系移民を日本へ追い返す」
この内容には、日本も冷や汗をかいた。もし三百万人がブラジルを追い出され、日本に戻るようなことになれば、大きな混乱を招き、そこからさまざまな問題が発生するに違いない。ついに「投鼠、器を忌る」日本はこの圧力に屈し、二戦中にマカオに手を出すことはなかったというわけである。
(文=劉継興)
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年6月12日