極東国際軍事裁判所で審判を受ける25人の日本のA級戦犯(1946年)
1948年12月、2年余り東京裁判のを経て、日本の侵略戦争の性質が確定し、多くの戦犯の命運が明らかになった。日本人戦犯は次の4通りの末路をたどった。
(一)死
雨花台で死刑に処された南京大虐殺案の主犯・谷寿夫(1947年4月26日)
南京大虐殺を実施した歴史の罪人・松井石根
病死: 東京裁判の被告は最初28人だったが、元外相の松岡洋右と元海軍大将の永野修身は病死した。
絞首刑:極東国際軍事裁判は東条英機、広田弘毅、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章の7人を1948年12月23日明け方、絞首刑に処した。
銃殺刑:1945年12月中旬から中国でも一部の地方で戦犯を裁く軍事裁判が行われた。1945年末から1947年末までに各軍事裁判で受理された戦犯案件は2435件、うち判決が下されたのが318件、不起訴となったのが661件、国防部の審査を経て死刑執行されたのが110件。
自殺:敗戦でA級戦犯容疑者として発表後、阿南惟幾、杉山元らは自決。これは法の裁きを恐れた逃避行為といえる。