日本が開拓した海外市場は世界中に広がっている。特に東南アジア、西欧、中南米などでの成果が最も多彩だ。日本企業による海外市場開拓の数々の成果から、「孫子の兵法」にあるような色とりどりの戦いの秘訣を深く味わうことができる。中新網が伝えた。
(1)自分を知り敵を知る
ソニーや松下電器(現パナソニック)は米国市場進出に先立ち、設計者やエンジニアで構成された専門家チームを米国に派遣して調査を行い、米国の消費者の好みに合った製品を設計するにはどうすればよいかを検討した。松下は1951年から米国に専門家を常駐させ、事前に情報を収集した。日本企業はしばしばライバル社の製品を分解して研究する。このようなことは日本の企業家にとっては日常茶飯事で、ライバル社の製品は日本の製品を改良するためのインスピレーションを与えてくれ、日本で研究開発した製品を競争に負けないようにしてくれるものだ。
(2)勢いに乗じて進出
日本の自動車が初めて海外市場に進出した頃は、市場シェアを奪うことが主な目的だった。米国市場に進出した日本企業は、自社の自動車部品の供給システムとサービスネットワークの発展に努力し、米国の顧客が迅速で確かなサービスを受けられるようにした。トヨタは一連の製品を導入し、米国市場に浸透することに成功した。そのかなりの部分は製品を延伸したことの成果だといえる。今や米国は日本最大の海外市場であり、日本車は世界で覇権を唱えている。
(3)攻めのポイントは価格
ホンダが米国のオートバイ市場に進出した当時、大型の米国産バイクの価格は1千ドルから1500ドルで、ホンダのバイクはわずか250ドル足らずだった。日本はロボット工業の先駆者だが、世界市場進出の途上では、侵略的な価格設定戦略を採用し、価格の安さという重要な武器に過度に依存する傾向があった。