日本企業--閉鎖された帝国
ソニーは内部紛争に悩まされ、ソフトウェア部門がハード部門にソニーの映像・音楽のダウンロードサービスの提供だけを求めるなどで揉め、業績の低迷を招いていた。一方でiPodは音楽大手5社の支持を受け、iTunesサービスを勢い良く立ち上げた。ソニーも同様の思惑を持っていたが、レコードと映画会社を傘下に持っていることを理由に、同業者の締め出しに見舞われ、計画は流れた。
これはオープン・イノベーションの典型的な一例に過ぎない。知識のルートが増え、急速なスピードで進化し、その新鮮さはすぐに失われてしまうため、全く新しい方法でイノベーションを推し進めていかなければいけない。オープン・イノベーションはイタリアのルネッサンス期までさかのぼる事ができる。当時、ピエモンテとトスカーナ地方の服飾業界はネットワークを形成し、シルクと綿織物の生産技術の迅速な発展に努めていた。
オープン・イノベーションは、外部の開発力を活用したり、知的財産権を他社に使用させたりして、利益を得るなど様々なモデルがあるが、どのモデルも中心勢力になることはなかった。企業はビジネスと科学技術の交流地点を慎重に模索し、自社に適した発展モデルを見つけなければならない。これはオープン・イノベーションの矛盾点でもある。展望は魅力的だが、失敗した時の損害が大きく、新参者は足を踏み入れるのを躊躇してしまうのだ。
しかし日本では、技術の委託や市場研究などを試みているものの、オープン・イノベーションで利益をあげることが最良の道であると考えている企業経営者は少ない。そのため、技術の飛躍的な進化によって、日本が得意としていたエンジニアリング中心のビジネスモデルは時代遅れになっているが、不確実さや懸念、不安や閉鎖的な企業体制は日本企業が外に向かって開放されることを妨げ、貴重なチャンスを逃してしまう。