対談:コロナ禍での日中エンターテイメント産業 周牧之東京経済大学教授vs白井衛ぴあ株式会社取締役

中国網日本語版  |  2022-02-17

対談:コロナ禍での日中エンターテイメント産業 周牧之東京経済大学教授vs白井衛ぴあ株式会社取締役。

タグ:エンターテイメント

発信時間:2022-02-17 17:03:02 | チャイナネット | 編集者にメールを送る


 リーダーも社員も大切


  白井さんご自身は何故起業したばかりのぴあを選んだのですか?


 白井 私は大学を出てヤマハに勤めました。バイク、リゾート、楽器をやる会社です。元々、音楽とエンジンのついたものが大好きで、自分の若い頃のテーマが音楽とバイクの二つでした。バイク扱う企業はホンダもスズキもあるが、両方やる会社は当時ヤマハしかなかった。ヤマハ発動機とヤマハと二つの会社に分かれており、グループ全体で言うとリゾート開発もやる大きな会社です。1979年入社当時、ホンダとヤマハはバイクのシェア争い真最中でした。新入社員は先ず全員営業所に出向させられ私は日本でも最高激戦区の多摩地区に行かされました。オートバイ店に並ぶホンダのバイクを返品させ、いかにヤマハのバイクをおいてもらうかのノルマ競争で、非常に鍛えられました。顧客の小中学生の子供たちに、塾の講師代わりに勉強を教えてあげて、徐々にバイクを買ってもらえる、というようなこともした。


 当然会社ですから営業は大切です。ノルマが厳しい会社は沢山あります。ただ私はバイクのプロモーションやマーケティングのことをやりたかった。音楽が好きでバイクが好きで入社したのに、ホンダとの競争ばかり考えている。目の前で辞める先輩もものすごい数でいた。400人新入社員がいたのが、1年後には半分になった。入社当初からふるいにかけ、第1関門でホンダ以上に売る競争に勝ち抜いたやつだけがヤマハ本社に行けた。そんな厳しい世界で頑張っても、ヤマハは結局ホンダに負けました。私はこのままでは駄目だと思い、子供の時から憧れていたバイクのヤマハを辞めました。


  若手の社員を消耗戦に使う企業はいまも結構あります。


 白井 厳しい営業時代を経験し、自分たちでぴあを経営して思ったのは、雇われる社員の気持ちでした。駄目なときは撤退することを早めに言ってやらないと社員が疲弊する。目標が達成できないとボーナス額も減り評価も下がる。目標を達成しているチームへの給料も少なくなり、チーム全体が次第に崩壊していく。要するに弱い野球チームみたいになって、それぞれが殴り合う。もう全く成功につながりません。


 自分の好きなものを一生懸命やると言っても、結果が出せなければチームがついてこない。結局、創業者として引っ張るリーダーはたいへんです。創業者を支えるメンバーもしっかりしてない限り事業はできない。


  創業者のリーダーシップとメンバーのサポーティングのバランスが大切ですね。


 白井 その意味では、リーダーは1人がいい、ということです。リーダーをダブルキャストにして2人でやるのは駄目で、責任者が誰かひとりきちんと決まっていることが必要です。創業時に代表取締役社長を2名置く会社もなくはないものの、基本は友達を集めて興す会社でも、ぴあの例もそうですが、最初は6人の大学生による経営陣がいましたが、最後に残ったのはいまの社長ひとりです。合議制はできない。引っ張っていくリーダーと、支える経営層がいて、ちゃんと社長を中心にまとまっていることが大事です。反対意見をたくさん言い意見交換をするべきですが、最後に社長が決めたことがあれば、それについていくことが大切です。

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