教会で敬虔に祈りを捧げている人がいる一方、そこから数歩も離れていない廟の中では熱心に頂礼している人がいる。廟からゆっくりと立ちのぼる線香の煙と教会から響く鐘の音が渾然一体となっている。
大三巴(聖ポール天主堂跡)とナーチャ廟
廟の中に掛けられた渦巻線香
400年余りの間、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランス、イタリア、アメリカ、日本、スウェーデン、インド、マレーシア、フィリピン、朝鮮、そしてアフリカなどさまざまな地域の人が各自の信仰、技術、風俗習慣を携えてこの地に移り住んだ。彼らは見知らぬ土地で生活し、自分の血脈をマカオの一部に変えていった。そして今日、中国文化と西洋文化は一つに溶け合っている。実際のところ、文化の融合とは生活の融合であり、それは決してマクロ的な現象ではなく、400年余りにわたる人々の衣食住や言動、辛酸苦楽、愛情や憎しみのなかに浸透し、起伏に富んだ人生の軌跡のなかに隠れているのだ。この「歴史の精髄」はつまるところ「生命の精髄」なのである。
マカオの歴史市街地区が他の世界文化遺産と最も異なる点は、それが歴史であるだけでなく現実でもあるということだろう。単なる観光スポットではなく、昔を懐かしむ遺跡でもなく、そこではリアルな生活が営まれているのだ。
ここに暮らす人々はさまざまな神仙を崇拝しながら、西洋の宗教祭日を祝う。中国式の習わしや儀礼に従いながら、西洋の法律や戒律も遵守する。彼らはそこに含まれる意義など探究したこともなければ、その珍しい文化現象について深く考えることもない。彼らにとっては、これが生活なのだ。彼らは口をそろえて言う。「先祖代々このようにしてきたから自分たちもそうしているだけであって、何も特別なことはない」と。
学者たちがどんなに深く研究しようとも、文献の中から歴史的価値や文化的意義の高いものが発見されようとも、ここで生まれ育ってきた人たちにとっては、その価値や意義はたった一つだ。それはつまり、自分たちの生きていく場所であるということ。