1965年3月に結成された日本貞松・浜田バレエ団が、北京と上海で14日から、中国での初公演に臨んでいる。団長の貞松融さんは、1964年に故周恩来総理の招きで訪中した松山バレエ団の一員だった。45年前の公演は貞松さんにどんな記憶を残したのか、また数十年ぶりの北京をどう見ているのだろうか。北京公演が始まる前に貞松さんに話を聞いた。
忘れがたい毛沢東氏と周恩来氏との握手
1964年、新中国成立15周年を祝うために故周恩来総理は、中国映画『白毛女』をいち早くバレエ化した松山バレエ団を招請し、大規模な中国公演を手配した。松山バレエ団は3カ月にわたって、北京、上海、ハルビン、広州で公演し、まだ外国の情報が少なかった中国の人たちに素晴らしいプログラムを披露した。
「45年前の公演は夢のようで、時間と空間を越え今でも目の前に浮かぶ確かな記憶です。私たちが人民大会堂で公演したのは1964年11月。公演終了後、毛沢東主席は舞台で私たち一人一人と握手をし、親切にあいさつしてくれました。その時は本当にうれしかった。周恩来総理とは楽屋で握手をしました。人民大会堂にはその当時、『東方紅』という大きな歌劇院があり、周恩来総理がその楽屋を自ら案内してくれたことは今でも忘れられない思い出です」
人民に奉仕すること
公演の3カ月間、中央音楽団の団員はバレエ団と一緒に各地を回った。同じ専用列車に乗り、ホテルに泊まり、一緒に食事し、リハーサルをした両国の若者たち。次第に若者たちの間には、深い友情が芽生えていく。
今回の北京公演の前に、中央音楽団の元団員だった趙昉夫妻が貞松さんを訪ねた。45年前に中央音楽団でバイオリンを演奏していた趙昉さんは、松山バレエ団のために伴奏し貞松さんと友情を結び、その後は毎年、お互いに年賀状を送り続け、お互いの国を訪問した際には必ず会って深い友情を保ってきた。
「生活面でも色々と世話をしてくれ、公演の面でも色々と教えてくれました。公演数は多くて少し疲れましたが毎日が楽しく、中国各地を見学し、彼らからは民族的、民主的、大衆的なバレエの創造や、人民に奉仕することを学びました。その精神は今でもバレエ団の目標です」