「この女は穢れている」~日本ボランティアが記述する中国慰安婦史

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発信時間: 2010-04-15 14:45:26 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

「日本人男性の声を聞くと全身を震わせる」

日本の女流画家富山妙子が描いた『海の記憶 慰安婦へのレクイエム』のポスターは、東京から海を越え、山西省武郷県八路軍太行記念館の展示卓上に置かれている。

2010年3月21日、60歳を過ぎた白髪の石田米子は、ここで5ヶ月間にわたって展示されている「第二次世界大戦における日本軍の婦女犯罪展」のブースに足を踏み入れた。彼女が率いる「中国における日本軍の性暴力の実態を明らかにし、賠償請求裁判を支援する会」(略称「山西省・明らかにする会」)などの日本の民間団体は、1996年から毎年1回、当時被害を受けながら半世紀も沈黙していた中国の「老婆」たちのもとを訪れている。

国境を越えた彼女たちの調査は、普通の人の眼から見たら「あり得ない」奇跡を起こした。

「この女は穢れている」

中国の伝統的な農村社会において、「あの事」は村人皆のタブーとなっている。

山西盂県河東村の楊秀蓮の養母・南二僕は、楊秀蓮が数えで4歳のときに首吊り自殺をした。

楊秀蓮が小学校3年生の時、村では「昔のつらいことを思い出し、今の幸せを噛み締める」集会が開かれた。年配者は子供を連れて村の羊馬山に上り、山の上で子供たちにこう言った。「抗日戦争の時、日本兵が盂県の街中から山にやってきて大砲を設置し、村に入って村人を殺し、婦女を強姦した。その中には南二僕もいた。」

当時数えで13歳だった楊秀蓮には「強姦」の意味がわからなかった。家に帰ってから、養父に昼間の話をしたところ、父は泣きながら彼女を抱きしめて、ただこう言った。「おまえはまだ子供だ、おまえが大きくなったら全て話してやる。」彼女は、父が病でこの世を去る直前に、ようやく真相を知ったのである。

盂県河東村の老婆・尹玉林は、被害を受けたため長期間にわたり不妊症であった。しかしこの事は、彼女の夫には生涯告げられずにいた。「今でも当時の事を思い出すと、恐ろしくて全身が震えてしまう。湯飲みを持って水を飲むこともできないぐらいだ。」

全白髪の在日華僑・中日交流促進会代表の林伯耀氏は、2年前に南京を訪れた時のことを今でも覚えている。性暴力被害者の老婆は泣きながら彼にこう言った。周りの男性は「この女は穢れている」と言う。年配の男性の中には、「こういう女は中国人の恥だ」という人もいる、とのことだった。

林伯耀氏がかつて接触した侯という老婆は、日本に行って証言することを心に決めてくれた。夫は同意したが、周囲からは猛烈に反対された。「彼女は車に乗って街まで出てきた。少し車酔いがしたので親戚の家で休んでいたところ、その親戚からも猛烈に反対された。それで彼女は証言することを諦めてしまった。2年後、彼女の夫が亡くなり、将来に絶望した彼女は自殺してしまった。」

(続く)

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2010年4月15日

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