仕事に人生をかける親たち
港中に子どもを連れて来る労働者の多くは、福建省福清市と平潭島の出身だ。ここは海外への出稼ぎが正業になっていると言われるほどで、五人に一人が出稼ぎ者とも言われている。「外国に行けばお金をたくさん稼げる」、中華街にやってきた親たちも、こうした夢を語っていた。そんな彼らの中には、生活の場として寿町を選択する者も多い。寿町は、東京の山谷や大阪のあいりん地区と共に「三大ドヤ街」と称されている地区である。
ある日、国際教室で学ぶ女生徒の家を訪ねてみた。寿町の一角にあるその建物の付近には、日雇労働の男たちが道端にへたり込んでいる。男性の一人歩きも危険といわれるほど、治安の悪い地域である。薄暗い階段を上り、等間隔で洗濯機が並ぶ通路を行くと、彼女の部屋にたどりつく。聞けば、上から下まで、住人のほとんどが中国人家族であるという。中は、六畳ほどの部屋が二つにキッチンとバストイレ、ここに親子五人が住む。
国際教室に並ぶ中国語の本。休み時間になると 子どもたちが手にとって読む
学校では、一人ぽつんとしていることの多い女生徒だが、母の前では学校での出来事を嬉々として話し続ける。「家事もよく手伝い、色々と気遣ってくれる」という娘は、母にとって誇れる存在だ。しかし、今、郷里に残してきた老父母のことが気にかかっているという。年老いて体調を崩しがちだと聞くが、もう三年近く会っていない。帰国予定を尋ねると、「何もかも捨ててやってきた。今更帰ることはできない」と下を向いた。
今も増え続ける中国人生徒
横浜市では赴任一校目の任期を最大6年と定めているが、土屋先生は2009年度時点で任期7年目を迎えていた。中国語の解せる教師なくして港中学は立ち行かず、大島文夫校長(56歳)が教育委員会に懇願し、一年延長の特例を認めてもらっていたからだ。中国留学経験があり、流暢な中国語を話す土屋先生だが、港中に赴任してからの中国語には福建なまりが入るようになったという。主に福建からの生徒が多くやってくる国際教室では、福建なまりの中国語が常用語になっていた。 他校からも注目されている港中学校国際教室。
「前任の高田先生から学んだものは多い」と土屋先生は語る。既に退職された高田先生だが、今も教室には高田先生が少しずつ買いそろえた日中両国語の文庫や辞書などが並ぶ。家に持ち帰り、熱心に読んでいる子もいるという。港町という土地柄外国籍の生徒が多い同校では、担当の先生方が代々国際教室の土台を形作ってきた。こうした高田先生をはじめとする歴代担当教員の熱い想いを受け継ぎ、つむいできたのは、土屋先生や外国人教育に熱心な同校の教員たちだ。
任期満了となった土屋先生は、2010年度から他校に赴任している。今も、港中を訪れる中国人労働者は後を絶たない。この数は今後も増加し続けると見られており、大島校長先生は危機感を募らせている。
今後も続くと予想される現場の苦悩。今、行政の更なる外国籍生徒対策が求められている。
「人民中国インターネット版」より 2010年6月18日