先進国の社会構造は「オリーブの実の形」や「棗の種の形」(ラクビーボールのような長楕円形)と形容されることが多いが、日本も例外ではない。日本は戦後の高度経済成長の過程で、全体的に安定し、貧富の差が小さく、圧倒的多数を占める中流階級がしだいに形成され、経済成長と社会安定の中堅的な勢力となった。「一億総中流」という名声も勝ち取ったのである。
政策によって中流階級を育成
日本の中流階級は戦後の高度経済成長期にしだいに形成され、拡大した。これには、この時期に政府がとったいくつかの政策が重要な役割を果たした。
まず、経済成長の状況に基づいてサラリーマン層の収入と生活水準を適時に高め、公平な分配を重要視し、国民に経済成長の成果を享受させたこと。
戦後復興期と高度経済成長期、政府は社会の富を国民の収入に適度に偏向して分配するよう十分に注意した。60年代初め、「国民所得倍増計画」が打ち出され、GDPの大幅な増加と同時に、国民の可処分所得は15年間でほぼ3倍になった。60年代半ば、ほとんどの家庭に白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機などの家電が普及。70年代半ばにはカラーテレビ、エアコン、マイカーが広まった。この時期、国民の収入は大幅に増え、これが中流階級の富の基礎を固めた。90年代初めにバブルが崩壊して国民の収入は大幅に減少したが、多くの人々の生活水準はことのほか大きな影響を受けることはなかった。
日本では、職種や地域間の所得格差はそれほど大きくない。社会全体の所得水準は平均的で、「暴富」層は少なく、ジニ係数は長いこと0.25前後を維持している。例えば、有名国立大学の教授の年収は約1200万円、同じ年代の会社員はその3分の2、消防員の年収も600万~700万円だ。日本にも欧米諸国のような「驚くほどの高収入」の経営者はいるが、一般的な経営者の収入は欧米の同業者の半分にも満たないだろう。全体的に、日本の給料制度は欧米諸国より公平さを重視し、効率にも配慮しているのである。