最後の越後瞽女、小林ハル
「越後瞽女(ごぜ)」は、三味線を抱えて町から町へ歌を売り歩く、盲目の女性旅芸人のことである。「雪国」とも呼ばれる越後地方の長くて寒い冬には娯楽が乏しく、越後瞽女は、地元で非常に人気のある民俗芸能となった。かつて、その最盛期には500人以上の瞽女がおり、評判は日本各地に広まり、誰もが知る娯楽の1つとなった。小林ハルは越後瞽女の中で、最も有名な人である。
小林ハルは1900年、新潟県三条市の貧しい農家に生まれた。生後100日も経たないうちに白内障を患って失明。家が貧しかったために、4歳で師匠の瞽女のもとに出された。8歳で独り立ちすると、町に出て歌うようになり、1973年までこれを続けた。
戦後の日本の経済復興に伴い、越後瞽女は徐々に衰退し、多くの者が次々と商売替えをする中で、小林ハルだけは瞽女の道を貫き、最後の越後瞽女となった。ハルは96歳の高齢になって、「最後の瞽女 小林ハル96歳の絶唱」というCDを制作し、広く人々に知られるようになった。2005年4月25日午前2時、新潟県黒川村の老人ホームで老衰のため死去、享年105歳であった。彼女の死によって、「越後瞽女」の時代は終わりを告げた。
後の部分は今の芸者たちの美しい姿を示す写真である。